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うろうろネンド

うろうろして見たり思ったことをつぶやきます

ぐるっとパスチャレンジ6:小平市平櫛田中彫刻美術館 2017年3月9日(水)

こんばんは、ねんどです。

先日久しぶりにぐるっとパスを使いました。行ってきたのは小平市平櫛田中彫刻美術館

denchu-museum.jp

小平市平櫛田中彫刻美術館の最寄り駅は、一橋学園駅です。
南口から徒歩10分とのことで、駅を出てとことこ。歩いてたら、わかりやすく矢印が。f:id:urouro_nendo:20170314184636j:image

大きなみかんの木!

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鳩さんがゆっくりしていました。

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歩いていてこっちでいいのかなと、不安になってくると矢印が出てくるという親切ぶり。

奥の建物は放送大学のようです。ここにあったんですね。

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住宅街の中を歩いていくと、ありました。小平市平櫛田中彫刻美術館

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建物が二つあって、左側が展示館、右側が平櫛田中氏の旧家の記念館となっているようです。

小平市平櫛田中彫刻美術館って

明治大正期の彫刻家の平櫛田中さんが晩年の10年間をすごした邸宅を広く公開するために昭和59年に「小平市平櫛田中館」として開館し、さらに平成6年に展示館を新設し、今の形に至っているそうです。

平櫛田中さん、107歳まで生きたそうで、晩年の10年って、97歳~107歳に住んでいたということなんですね。長生き!ねんど、そこまで生きられるかしら。

ところで、平櫛田中さんって、「ひらぐしでんちゅう」と読むみたいですね。たなかさんかと思っていました。文化勲章を授賞したりしたすごいお人だったそうです。

 小平市のHPに詳しい説明がありました。

平櫛田中とはこんな人|東京都小平市

小平市に来る前は谷中あたりに住んでいて、そちらのお家も残っているようです。いくつも建物が残っているって、すごいことですね。

たいとう歴史都市研究会

 展示館

まずは、「ロダンと近代日本彫刻展」を見に左側の展示室へ。このブログを書いた時にはすでに終わってしまいましたが。。

ロダンさん、没後100年だったんですね。

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建物を入ってすぐがミュージアムショップと受付。ぐるっとパスをもぎってもらいます。どんと存在感のある立像が。

その横を抜けて展示室へ。展示は1階から、2階、最後に地下という順路でした。

国立西洋美術館の入り口にある「考える人」「地獄の門」で有名なオーギュスト・ロダンさん。日本の彫刻界に与えた影響はものすごいものだったようです。

ロダンの作品の他に、というかほとんどは影響を受けた日本の彫刻家の作品でした。あ、これは!ってのがいくつかあったのでご紹介。

萩原守衛氏の「デスペア」

安曇野にある碌山美術館から。安曇野に2回行ったのですが、1度目は閉館してしまって入れず数年後リベンジしました。蔦の絡まる建物は安曇野を象徴している気がします。萩原守衛氏(萩原碌山)の新宿中村屋の初代への奥さんの相馬黒光さんに向けての悲恋の話も強烈な印象でした。

新宿中村屋のサイトにに創業のゆかりの人として紹介されているページがありました。

www.nakamuraya.co.jp

碌山氏の亡くなり方がつらい・・・

この作品の女性の岩から溶けて出たみたいな体勢は独特ですが、ロダンの影響もあるらしいです。萩原氏の手紙も紹介されていました。ロダンのダナンみたいになってしまったって、ちょっと言い訳のようなかわいい感じのことを書いていましたが、そんなこと抜きにいい作品でした。

モデルは日本人だけど、スタイルが、日本人がそれほど人物の彫刻になれておらず、ヨーロッパのスタイルを取り入れることから始めたため、デフォルメしたんであろうということでした。

 朝倉文夫氏の「吊るされた猫」

谷中にある朝倉彫塑館から。この方、大の猫好きみたいで、朝倉彫塑館には、猫の作品ばっかり展示してある温室があります。ここの建物はねんど大好きで何度か行きました。屋上も眺めがいいし、天井まである書斎だったり、丸テーブル特注で作ったりするこだわりの人で、なんだかセンスがよくて、ねんどの中で理想の建物の一つです。ぐるっとパスにも入っています。

高村光太郎の「手」

同じく朝倉彫塑館から。以前美術の番組でとりあげられていて、見たときにこれはって思った作品でした。また会いました。

別のところで出会ったり、知っていることがつながったりすると、すごくうれしいです。

ロダンの影響

ロダンは、いままで完全である事がよしとされていた所を、未完成でもいい、それまで美と認められないようなちょっと醜いようなもの、そこにリアリティというか美を見出すといったような視点があったそうで、当時の人たちはそこに衝撃を受けたみたいでした。

展覧会の構成は、こんな感じですすんでいました。(例によってメモを取ってないので文章のニュアンスが違うかもしれません)

その1.ロダンを師と仰ぐ明らかに影響を受けた人たちの作品

その2.ロダンの思想的な部分を受け継ぐ作品

その3.ロダンの影響から抜け出そうと、あえて違うことをやった作品(これもロダンを意識しているという意味で、ロダンの影響といえるだろうという説明がありました。)

その4.かみ砕いて自分のものとして、同じようなアプローチをそれぞれのやり方でやっている作品

彫刻に限らず、センセーショナルな感性に出会った後、受け入れられていく過程はこんな経緯をたどるんだろうなという構成でした。

最後のその4の所は地下で、ロダンの「カレーの市民」という作品があったのですが、ちょっと演劇のようでした。演出してる感じがしました。伝統的な高い台座に置かないで見る人と同じ高さに置くようにとロダンと市とでもめたそうです。見る高さにもこだわったんですね。

最後に平櫛田中氏の代表作という「鏡獅子」もありました。ロダンと彼は立像を依頼された時にある同じことをしていたそうで、それは何かというと、服を着ていない状態で一度モデルにポーズを取ってもらって、まず裸の状態で彫刻を作る。そのあとに、衣服を肉付けしていくということをやったそうです。

鏡獅子の横には、裸の状態の鏡獅子のポーズをした作品があり、並べてありました。

なんという労力。すごいことをしますね。

▼服を着ている鏡獅子

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 平櫛田中氏の旧家の記念館

 続いて、隣の建物の記念館へ。引き戸をあけて屋内へ。展示室になっているところにいくつか作品が飾ってありました。客室には季節柄ひな人形も。

そして庭園の紅梅と白梅の見事なこと。写真撮りたかったのですが、館内禁止なのでなくなくパンフレットを。庭園ではたまに野立てをしていたりするそうです。

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館内のいたる時に平櫛田中氏の名言が飾られていました。

いまやらねば いつできる

わしがやらねば だれがやる

庭にはすごく大きなクスノキの切り株がありました。

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この木は平櫛田中氏が100歳になってから彫刻用の原木に置いたそうです。さらに30年は創作活動が続けられるだけの原木が乾燥のために置かれていたそうです。

107歳で亡くなったそうですが、そんな年齢になっても創作への情熱を持ち続けていたんですね。この木をみて、先ほどの「誰がやる」ってのを思い出すと、言葉に力が感じられます。強い思いを持ちながら生き続けるというのは、並大抵なことじゃないなと思いながら、記念館を後にしました。

旧家を外から見るとこんな感じです。

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前庭の木が大きい!f:id:urouro_nendo:20170314184921j:image

帰りは違うルートを通って帰ることにしました。歩きたくなる道。

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街並みです。同じ形の建物が並んでました。

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 途中、音楽への愛あふれるカフェで休憩して、帰りました。

うろうろねんどの旅は続く!

ぐるっとパスチャレンジ5:森鴎外記念館 2017年02月06日(月)

こんばんは、ねんどです。

先日2月6日にぐるっとパスで、文京区立森鴎外記念館に行って来ました。

moriogai-kinenkan.jp

森鴎外記念館は、東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩5分にあります。

千駄木駅の壁の模様が気になったのでパシャリ

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1番出口が一番近いというので、出てみたら団子坂下という交差点。

この坂を登りきったところに記念館はあるようです。団子坂という文字を見て、団子を食べたくなるねんど。団子屋さんはないかなと思いながら、坂をとことこ。残念ながら、団子屋さんはありませんでした。

団子坂上って交差点まで来てしまいました。

f:id:urouro_nendo:20170208001000j:imageちょっと気になるお店を見つけたので帰りに寄ってみようかと思いながら、歩いてると到着しました。

外観

森鴎外記念館の外観です。和風な建物を想像して来たのですが、意外や意外、モダンな建物。

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入口です。

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館内

中に入ると正面に鴎外さんの顔の銅板。右の写真は拡大版。壁に埋まっています。

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入って右手が、ミュージアムショップになっていて、そこでぐるっとパスをちぎってもらいます。

地下1階が、展示室。
1階はカフェとミュージアムショップ
2階は図書館と講堂になっているようです。

まずは、展示を見ようと、地下におりてみます。数日前の2017年2月2日~4月2日まで「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」というコレクション展が行われているようです。これは外のポスター。

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地下へ降りていく階段です。

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下から見るとこんな感じ。天井の明り取りが印象的です。

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 本当にモダン

調べてみたら、どうやらこの建物は、森鴎外生誕150周年を記念して2012年にそれまであった「文京区立本郷図書館鴎外記念室」から新たに「文京区立森鴎外記念館」に改築されたものだそうです。ちなみにこの場所は、鴎外さんが亡くなるまで30年以上住んでいた「観潮楼」という住まいがあった所みたいです。

地下

階段を降りると右手が、休憩室。左が展示室になっていて、展示室の正面には森鴎外さんの胸像。後ろには原稿などの映像が流れていてました。

展示室は入って、右の部屋が常設展で、まずはそちらから見ていきます。

鴎外さんの生涯

鴎外さんの人生が年表や写真などの資料と共に展示してあります。

鴎外さん、島根県の津和野出身なんですね。1862年生まれ。幼い頃から論語オランダ語を学んでいたそうです。早熟!

 そして、10歳で家族ともに上京し、11歳で東大医学部の前身に入学年齢に達してないのに入学したそうです。神童ですね。。

文学にも興味を持って、医学と共に学んでいたそうです。

 その後、19歳で卒業して軍医となり、その実力を認められ、22歳でドイツに国費留学。時は明治時代、軍医というのがその時代を表していますね。

26歳で帰国。それから、軍医として活躍し、たくさんの翻訳をしたり、執筆活動と大忙しだったようです。

友人との交流もすごく濃い。小説家は幸田露伴夏目漱石芥川龍之介田山花袋などなどのそうそうたる顔ぶれ。集まってはいろんな談義をしていたみたいです。正岡子規北原白秋石川啄木斎藤茂吉などの俳人乃木希典などの軍人とも交流があったみたいで顔広すぎです。

明治天皇が亡くなった時、乃木希典夫妻の殉死に衝撃を受けたみたいで、そこから小説を精力的に書いていたそうでした。知ってる人が殉死って、しかも夫妻でって、相当ショックだったことでしょうね。

福岡県北九州市小倉にも軍医で赴任して来たことがあったみたいです。ねんど福岡出身なので、自分の町が出てくるとなんだかうれしくなります。実家に帰った時には、旧家にいってみようかと思ったりしました。

小倉から帰る時に2度目の結婚で、「ちょっと美術品のような人」と結婚したそうで、その手紙も展示してあって、その表現にくすっとしました。大変な美人さんだったみたいですね。

華々しく活躍していたけれど、60歳で亡くなる直前、友人に遺書を口頭筆記してもらって、墓石には「森 林太郎」と自分の名前以外は掘ってくれるなと言ったそうです。軍から称号を与えるという話もあったけど、断固断ったそうです。

余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス

この言葉には何か拒絶のような孤高の存在のようなものを感じました。

地図と手紙と

東京のあちこちにゆかりの場所があって、地図にゆかりの場所がマップされているタッチパネルの展示がありました。昔の東京の地図と、今の地図に切り替えられるのもいい感じでした。ゆかりの場所を回る人もいるんでしょうね。

手紙も結構残されているみたいで、まめな人だったんだなと思いました。タッチパネルで手紙をみられるような展示もありました。つい最近発見された手紙で、記念館が買い取ったものも。この時代になっても見つかるものなんですね。

子どもさんにも手紙を結構書いていたみたいでした。カタカナで書いてあって、逆に読みにくく感じました。。パパは何を食べたとか、子煩悩なお父ちゃんって感じの文章でした。

企画展「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」

企画展は常設展とは違う部屋でありました。この企画展は亡くなる直前の資料や、亡くなった後に全集が出版されるまでのことを取り上げた企画展でした。

晩年、体調が悪く、足を引きづるように歩いて、仕事してたそうです。人から医者に行けと言われても診察を拒み続け、自分も医者だから症状もわかっていたでしょう。

多分腎をやってると思う。もう手の施しようがない死ぬと言われて精神状態が普通でなくなって、そればかり考えるようになるのが嫌だといったような手記が残されていました。

そして、いよいよ動けなくなって仕事を休み、奥さんから涙ながらに診察を行くように言われ、診察したけれど、もう手遅れな状態だったみたいです。

日記もだんだんと書く筆圧が弱くなって、最後は友人に代筆してもらい、遺言も書いてもらい、亡くなったそうです。享年60歳だったそうです。

デスマスクもありました。

全集の出版は人間関係とかいろいろ大変だったみたいでした。

映像

また別の部屋で、映像が流れていました。3本あって、「千駄木での鴎外の話」、「観潮楼についての話」ともう一つは、3人の現代作家が森鴎外について語っていました。

一人目は、ドイツ語で書かれたものを見て興味をもったという方(名前を忘れてしまいました)。

鴎外さんが日本に帰ってきた時に自分の研究室を作ろうとして、それができなかった。それよりも欧米の技術を翻訳して、世に広めることを求められた。次に小説を書こうとした。そこでも欧米の文学を広めてほしいと翻訳家として求められることが多かった。彼はすごく能力があった人だけど、能力があった故に人から多く求められ、そしてそれに答えるだけの力があった。でも彼は自分のものを世に残したかったのではないか、あれだけの人でも苦悩があったんではないでしょうかと舞姫という作品のことともに話していました。晩年ものすごいスピードで作品を書いていた。もっと生きていたら、たくさん読めただろうとも言っていました。

ねんど、その話を聞くまで、エリートで人望もあって、すごい人だとしか思っていなかったのですが、なるほどそうだったのかもしれないと思ったりしました。

二人目は安野光雅氏。

この人の絵好きなんですが、安野氏は出身が鴎外さんと同じ津和野らしいです。子どもの時は出身地の有名な人ってだけで特に意識してはいなかったそうです。
文語体が好きで、文語体の文章を探すうちに「即興詩人」というアンデルセンの作品の鴎外さんの翻訳に行き当たったそうです。とある人が無人島に一冊持っていくとしたら何がいいかという質問にこの「即興詩人」のことを挙げていたそうで、安野氏も自分もそうだと言っていました。

三人目は平野啓一郎氏。

 現在では、森鴎外夏目漱石に比べて、好きという人が少ないそうです。圧倒的な状況で人が抗えずに結局流されてしまう諦めのようなものがそこにはあって、現代の主人公が打開していくのが好まれる時代とは合わないのかもしれないと、言っていました。ただ、311によって圧倒的なものを経験した我々が今読むと不思議な慰めのようなものがそこにはあって、むしろ今読んでもらいたいとも締めくくっていました。

三人それぞれのコメントに鴎外さんへの気持ちがあって、読んでみたくなりました。

休憩室

展示室を後にして、館内を見て回ることにします。休憩室はこんな感じでした。

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2階

図書館と休憩室と講堂がありました。

2階の休憩室の入口。

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外には夕焼けが見えました。

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図書館は、森鴎外の全集はもちろん、文京区の歴史、明治らへんの文芸本の復刻版などがありました。

1F

1階にもどって、カフェに行こうとしたら、営業が終わっていました・・・

残念無念。

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入口のミュージアムショップには、なかなか面白いグッズがありました。

バッチとか、飛び出る鴎外さんしおりとか、いい感じでした。

ミュージアムショップ - 文京区立森鴎外記念館

中庭

建物の外にでました。中庭には鴎外さんが写真を撮った石が残っていました。

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記念館の裏に出てみました。

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すっかり夕方です。散歩によさそうな小道です。

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この後行きたいお店があるので降りませんでしたけど、気になる階段です。

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国語の授業で習ったくらいしか知りませんでしたが、今回鴎外さんについてしっかり学べた気がしました。ぐるっとパスにいいきっかけをもらいました。本も読んでみようと思います。

 番外編

行き掛けに気になったお店「あめ細工 吉原」。

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室内は甘い香りがたちこめていました。作り置きで売っているものと、注文してその場で作ってくれるものがあるみたいです。種類も妖怪や干支などたくさん。写真をみせたら、似せて作ってくれたりもするみたいです。作ってくれるのはポーズも指定したり、メッセージを付けてもらったり、いろいろできるそうです。

せっかくなので、作ってもらいました。飴の素材、日本の飴細工はさらし飴というもので、もともと透明なのに何か混ぜて少し白いような色をしていて、80度くらいの温度に熱して柔らかくなった状態のものを丸めていくそうです。固まるまで3分くらいだそうなので、その間が勝負だって言っていました。

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話しながらも素早い手つき。飴がどんどんウサギの形になっていき、あっという間に完成です。

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体験教室もやっているようです。飴の丸める感触をちょっと味わってみたいです。

いいお土産ができました。

ame-yoshihara.com

うろうろねんどの旅は続く!

ぐるっとパスチャレンジ4:武蔵野市立吉祥寺美術館(2017年1月30日 月)

こんばんは。ねんどです。

おとつい2017年1月30日に、武蔵野市立吉祥寺美術館に行ってきました。
この日は月曜日。月曜日というと、美術館や博物館の類はお休みが多いのですが、この美術館は、毎月最終水曜日、展示入れ替え、年末年始以外は開いているというありがたい美術館です。

www.musashino-culture.or.jp

さて、この武蔵野市立吉祥寺美術館ですが、場所は吉祥寺駅を降りて、3分くらいでとても行きやすいところにあります。そんなところに美術館あったかなと思いながら歩いていると、どうやらこのcoppiceという商業ビルの中にあるということがわかりました。

A館の7階だそうです。あったんですね。

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エレベータもありますが、ねんどはエスカレータで。6階まで上がると、最後は階段でした。

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今日見る「青龍社の女性画家 小畠鼎子展」のポスターです。

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小畠鼎子って、なんて読むんだろうと思ったら、「おばたていこ」と読むみたいですね。大正から昭和にかけて活躍した吉祥寺に住んでいた日本画家だそうです。

青龍社

青龍社ってのもなんだろうと思ったら、その説明もロビーでされていました。

 青龍社とは、川端龍子(かわばたりゅうし)という日本画家によって設立された美術団体だそうで小畠鼎子氏は、その青龍社に35年連続で出展し続けていたそうです。残念ながら、川端龍子氏が亡くなった後、解散してしまったということでした。

川端龍子氏の美術館も大田区にあるみたいです。パンフレットがおいてありました。

龍子記念館

 残念ながら龍子記念館は、ぐるっとパスではない入場できないみたいですが、美術館から美術館を知るってなんかいいですね。芋づる式な感じで。建物がよさそうです。

展示室

展覧会の挨拶文と2、3の絵がロビーに展示してあり、この後は有料ゾーン。展覧会全部が有料でないというのは太っ腹なんでしょうか。

ぐるっとパスを受付に渡して、ちぎってもらって入場です。

武蔵野市立吉祥寺美術館には、展示室が3つあります。

受付を通ると、右は「浜口陽三記念室」、正面は「萩原英雄記念室」、左は「企画展示室」と3つの展示室があって、自由に見て回る形式になっています。

浜口陽三記念室

 まずは右の浜口陽三記念室から。この展示室では銅版画家の浜口陽三氏の作品と関連作品が定期的に入れ替えて展示されているようです。

浜口陽三記念室 | 武蔵野市立吉祥寺美術館

入口に浜口陽三氏の顔の銅板がありました。

浜口陽三氏は、銅版画とカラーメゾチントという技法を開拓した人のようで、その作り方の展示もありました。一色ずつ色を載せていくようでした。カラーメゾチントの説明をしてくれているサイトがありました。

d.hatena.ne.jp

学生時代の美術の時間にプラスティックをとがったもので傷つけて版画を作ったことを思い出しました。浜口陽三氏の作品、静けさがあって、でも暖かさもあって結構好みでした。

白黒の作品もありましたが、色がついているのが好きでした。

展示されていた絵の絵葉書を買いました。「2匹のてんとうむし」という作品。他の作品も見てみたくなりました。

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この部屋には他に織田一磨という版画家の作品も展示してありました。

織田一磨 大阪の河岸 - Google 検索

大阪や東京の街並みを版画にしていた人で、華やかな町や廃墟みたいになっている風景も版画にしていたりして、独特なまなざしがあるなと思いました。

今の風景を描かなければといったような言葉をあったのですが、メモをしてなかったのと後でネットで探したけれど、見つからなくて正確な言葉はわからないですが、記録を残そうという気持ちが強い人だったのかもしれません。

ちょっと浮世絵的な感じがしました。

パンの会」って団体にもはいっていたみたいです。

色々勉強になります。

 萩原英雄記念室

続いて、受付入って正面の展示室「萩原英雄記念室」。

この展示室の入り口には、萩原氏の顔の木彫りがありました。

萩原英雄記念室 | 武蔵野市立吉祥寺美術館

 印象的だったのは、富士山をいろんな角度から絵にしている作品。

時には、畑とともに、時には夜、また桜の花の枝の間からと、色々なところから富士山を絵にしていました。

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 変わった形の椅子がいくつか置いてあって、座ってみたりできました。手すりがあって、角度がついた椅子があって、そこに座ってみるとゆったりとした気持ちで立ってみるのと違って見えたりしました。

展示室の外のロビーにあった椅子。

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 企画展示室~青龍社の女性画家 小畠鼎子展~

最後は受付通って左の企画展示室。本日のメイン小畠鼎子氏の展示。

チラシが4種あってかわいいです。

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小畠鼎子氏が活躍したのは大正から昭和。太平洋戦争の時代は、画家もみな国民を挙げて鼓舞しようという動きがあり、彼女が所属した青龍社の画家の中でも率先してそういった絵を描いた人もいたそうです。でもそんな中、小畠鼎子氏は自然を描き続けていたそうです。

戦争中は、絵具が足りなかったりして、背景に塗る色がなくなったり、でも逆にそれが絵のすばらしさになっている絵もあったりしました。

時代というものは多かれ少なかれ作品に影響するものなんだなと思いました。

戦時中の青龍社の展覧会の告知をする案内のハガキも展示されていて「でも芸術がないと寂しいでしょ」というような一文があって、ちょっといい感覚だなと思いました。このハガキは、青龍社の主催の川端龍子氏が書いたのでしょうか。

戦後

戦争が終わってからの作品は、構図や色がダイナミックになっていました。

子育てをしながらで遠くに行けないからと、吉祥寺の自然を多くかいていたようでした。

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描きたいのにかけない苦しさ

 ちゃんとメモをしていたわけではないので、正確ではないのですが、ロビーにこんなような言葉がありました。

「描けば描くほど描くことはむつかしいと思う。しまいには描けなくなるのではないかと思う」

「どうしてそこまでと言われるけれど、人間は打ち込めるものがないとつまらないでしょ。」

生みの苦しみというんでしょうか。それでも描き続け、35年連続で出展し続けるパワーというのは本当にすごいですね。芯が強い女性だったんだなと思いました。

 うろうろねんどの旅は続く!

ぐるっとパスチャレンジ3:府中市郷土の森博物館 2017年1月28日(土)

こんばんは、ねんどです。

昨日はぐるっとパスを使って、府中市郷土の森博物館に行って来ました。今回は週末なので旦那さんも一緒です。

www.fuchu-cpf.or.jp

府中市郷土の森博物館の最寄り駅は、南武線または京王線分倍河原駅。ねんど達が駅に着いたのは、お昼すぎでお腹はぺこぺこ。目をつけていたお店はお休み、他の気になった店も満席で、行く道中見つけようという事になりました。

この日は座って食べたかったので行きませんでしたが、この立ち食いソバ屋さん、なんだかおしゃれ▼

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府中市郷土の森博物館は、分倍河原駅から歩いて20分くらいの所にあります。バスもありますが、食べるところも見つけたいし、せっかくなので歩いて行くことにしました。

駅前に銅像を発見。

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新田義貞氏の像。分倍河原の戦いというのがあったみたいです。この戦いについてはあとで博物館で詳しく知ることができました。

グーグルマップを見ながらとことこ。

ところが、GPSが変になっていたのか住宅街を進め、さらにマンションに突っ込めみたいな事になり、とても昼ごはんを食べられる感じではありませんでした。

遠まわりしつつもなんとか到着。

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受付でぐるっとパスを見せるとプラネタリウムが2時の回と3時半の回とあるけれど、どちらがいいかと聞かれました。

時間は2時少し前、空きはあるとは聞いたけれど、とてもこの空腹でプラネタリウムは耐えられそうになく、15時半の回にしました。ぐるっとパスをちぎってもらって入場します。

博物館の外観です。

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博物館は公園の中にあるみたいで地図を見ると公園自体も結構広くて、見るところがたくさんありそうです。

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まずはごはんが食べられそうなところを探します。博物館の中にカフェがある!

飛び込みました。ねんどは、ハンバーグランチ、旦那さんはおでんセットを頼み、腹ごしらえしつつ、プラネタリウムまでに見るルートを検討。

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 ハンバーグ、結構ボリュームありました。

多摩川冬鳥の陣

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お腹も落ち着いた所で、まずは1階の多摩川冬鳥の陣。ちょうどこの日から開始でした。ポスターの鳥の絵がかわいいです。

入口で、入場者数を数えておる、どんぐりを入れてくだされ、と書いてあったのもクスリとしちゃいました。

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多摩川にはたくさんの鳥が飛んで来ていて、餌や寝場所を取り合う合戦場だということで、説明が武士っぽくて、面白おかしく読めます。

もともといた鳥たちの正規軍、そこに季節ごとに渡ってくる鳥たち、人間に住処を奪われてやってきた鳥たちと、それぞれ軍に見立ててありました。こんなにたくさんの種類の鳥が多摩川にやって来ていたのかと勉強になりました。

バードウォッチングっぽい事ができたり、クイズもあったりと結構たのしめました。

展示の見せ方って大事ですね。 

くらやみ祭り

続いて2階の展示。府中には、毎年4月30日から5月6日まで行われる「くらやみ祭り」というのがあるらしいです。大國魂神社とその周辺から、いくつもお神輿が街を練り歩き、かなり盛大なお祭りなようです。

かつては街中の明かりを消した深夜に行われていたので「くらやみ祭り」と言われたそうです。

その様子を映像で見られるようになっていました。

クライマックスの5月5日の夜11時には流鏑馬などの儀式もあったりするみたいです。お神輿も迫力ありそうで、生で見たくなりました。

www.ookunitamajinja.or.jp

府中の歴史

展示が2014年にリニューアルしたみたいで、割と綺麗でした。

氷河期のおわりから、この辺りには人が住んでいたそうで出土品がたくさん出て来たみたいです。宿場の様子のミニチュアなどには双眼鏡がおいてあったり、展示に工夫がありました。

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分倍河原の戦い

駅で見た銅像分倍河原の戦いについてアニメーションで説明していました。

時は鎌倉時代1333年。新田義貞は、鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、ここ分倍河原北条泰家を大将とする北条軍とぶつかったそうです。

最終的に新田軍が幕府軍に勝利をおさめ、鎌倉幕府の崩壊に大きな影響があった戦いだったということでした。先ほど駅前にあった像はこの新田義貞氏だったんですね。

鎌倉と分倍河原とそんなに近いとは感じていませんでしたが、この地でも歴史が動いていたんですね。

氷河期の終わりから、現代まで一気にこの地の歴史をみました。

プラネタリウム

さて、15時半少し前になり、プラネタリウムに向かいます。入場は10分前から。

前半は今夜の星空を係りの人が生で解説してくれ、後半はプログラムという二部構成でトータル1時間ほどの上映です。15時半の回のプログラムは「ビリオン・サンズ」。左から二番目のポスターです。

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「ビリオン・サンズ」は、10億個の星空の3次元マップを作るという最新プロジェクト0の話。映像で説明してくれています。

いすなど少し設備の古さは感じたのですが、映像と生解説の2部構成はお得な気持ちになりました。

公園

プラネタリウムを見て、博物館の外に出たらもう夕方。公演は17時まででこの時すでに16時半すぎ、時間があまりないので、博物館の周りだけ少し見ました。

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府中町役場。中にも入れるみたいでしたが、時間がないので今日はやめました。

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旧島田家住居。中にはひな人形が飾ってありました。

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 猫さんもいました。

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公園はまだまだあって、見て回りたかったのですが、また今後ゆっくり来ることにします。2月は梅まつりもあるみたいですよ。

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帰りはバスに乗ろうと思ったのですが、ちょうどいい時間がなかったので歩いてたら、きれいな夕焼け。

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石村萬盛堂

駅に向かっていると歩いていると、なぜか福岡のお菓子屋さんの石村萬盛堂がありました。聞くと東京近辺へここを拠点におろしているそうです。

お茶と塩大福を買ったパクリ。家で食べる用の鶴の子も買いました。

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 最後はお菓子も食べられて、なかなかいい散歩になりました。

うろうろねんどの旅は続く!

 

ぐるっとパスチャレンジ2:古賀政男音楽博物館(2017年1月25日)

こんばんは、ねんどです。
昨日に引き続き、ぐるっとパスチャレンジ2日目!

今日は、代々木上原にある古賀政男音楽博物館に行ってきました。

www.koga.or.jp

 昨日は映画、今日は音楽という流れです。
小田急代々木上原駅で降りて、3分くらい、井の頭通りに面した円形の建物が見えました。「古賀音楽博物館」というバス停の名前になっているみたいです。

奥にはJASRAC!音楽関係同士だし、何か関係あるのかな。

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入っていきます。

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正面入口はこんな感じです。太陽がまぶしいぜ!

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左側の受付でぐるっとパスをちぎってもらったら、館内へ。
スタンプカードを作りますかと聞かれて断ったけど、集めると何か特典があったのでしょうか。

建物の中は?

1階はホール。コンサートなども開かれているようです。

2、3階が展示室。階段を上って、展示をみたら、エレベーターで地下に降りて、音楽情報室をお楽しみくださいとのこと。

早速、階段を上がっていきます。

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天窓からの明かりがいい感じです。

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階段を上がると、資料室です。

2階

2階には殿堂入りした日本の大衆音楽の作曲家、作詞家などの顔と名前がずらり。大衆音楽っていう言葉自体を久しぶりに聞いた気がします。だいぶ上の世代の人達だったりするので、親とか時代感が分かる人と来て当時の話を聞いた方がより楽しめたかもしれません。

毎年、顕彰者が発表されているらしく、平成28年には寺山修司氏の名前もありました。どうやら最新の人ってわけではないようです。天井桟敷って劇団だと思ってたんですが、天井桟敷レコードってレーベルあるんですね。

奥に行くと3階へとゆるやかなスロープが続いているのですが、それが古賀政男氏のお家の石畳をイメージしているそうで、音楽のレッスンに来た人が緊張しながら古賀氏の家に向かう気分を感じてくださいといった事が書いてありました。

絨毯の絵柄が石畳っぽくなっていて、両側の壁にディスプレイがいくつもあって、氏の家の玄関、お庭の四季の写真が映っていて、なかなかいい演出でした。

3階

 3階には、古賀政男氏の家から移築したものが展示されていました。模型もあって、使用人部屋もいくつもあるずいぶんな豪邸だったことがわかります。書斎や和室もそのまま持ってきていました。

古賀政男氏の出身の福岡県の大川市の小学校では、毎年、古賀氏を描く絵画コンクールが開かれているそうで、入選した子どもたちの絵が飾られていました。ねんど福岡県出身なんですが、知らなくてごめんなさい。。

他に古賀政男氏ゆかりの品や氏の略歴の展示などがありました。

古賀政男氏は、昭和を代表する大作曲家だったみたいです。「東京ラプソディ」「無法松の一生」って曲名を聞いたことありました。マンドリン倶楽部というものの創設をしたり、「古賀メロディ」と呼ばれる数々の名曲を作っていたそうです。

ある場所に立つと、曲が流れるという仕組みになっているところもあって、曲を聴きながら展示物を見ていると、昭和な感じがしました。

ヘッドフォンで彼の曲を聴けるコーナーもありました。

ベロベロ節って酔っぱらいの曲も面白かったけど、Youtubeにはありませんね。

この曲も有名らしいです。歌い方には時代を感じてしまうけど、マンドリンの音色に哀愁を感じます。

www.youtube.com

晩年は入退院を繰り返していたようです。印象に残ったのが、昭和53年に亡くなる2日前のメモ。

今日も懐メロ大会を放送している。

僕の歌を好きな人は悲しい人ばかりだ。

こんな曲が流行らない時代になってほしい。

みんなもっとハッピーになってほしい

実際はもっと長かったのですが、少し厭世的な感じでした。ピカドンの慟哭も早くなくなれというような事も書かれていて、戦争の心の傷跡はすごく深かったんだなと思いました。

企画展 日本歌めぐり7 福岡

 3階の1室で企画展をやっていました。日本歌巡り7ということは、いろんな県を特集してるんでしょうね。さっきも書きましたが、ねんど福岡出身なので、福岡の回に来て盛り上がりました。音楽博物館らしく、音楽の面から福岡を特集していて、明太ロックの話や、日本のリバプールと言われていたなどなど解説が。

それからおもしろかったのが、歌マップ。どこの場所を歌にしたのか、写真はもらったパンフレットで文字数のせいもあるのかアーティスト名は書かれていませんが、展示にはアーティス名も書かれていました。スピッツ椎名林檎の名前もありました。

スピッツ天神駅改札口で君のよれた笑顔~♪って曲を聴いた時、テンションが上がったことを思い出しました。

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これを見ながら、福岡の歌がBGMで流れているのですが、かかっていた曲がこれ。壮絶に暗い・・・が小倉など知ってる地名が出てくるとつい聞いてしまうものです。

www.youtube.com

B1 

 3階からエレベータに乗って地下に降りると資料コーナー。2階の殿堂入りの人の曲が聞けたり、音楽関係の本があったりします。

昨日行った東京国立近代美術館フィルムセンターでとりあげられていた李香蘭古賀政男氏も曲を提供していたらしいので、試聴機でその曲を聞いてみたりしました。透き通る歌声でした。

結構たくさんの人の曲があって、スタンプカードを作る人はここで音楽を聴くのが目的なのかもしれませんね。

他にもカラオケスタジオがあって、30分200円で借りられるそうです。録音用CDを1枚1000円で買えば、歌の収録もできるらしいです

音楽が全体に昭和で、なんだかタイプスリップしたような気持になってしまいました。音の資料館でした。昭和の音楽を聞きたくなったら、行ってみるといいかもしれません。コンサートもちょっと気になりました。

うろうろねんどの旅は続く!

ぐるっとパスチャレンジ1:東京国立近代美術館フィルムセンター(2017年1月24日)

こんばんは、ねんどです。

ねんど、またぐるっとパスを買いました。2016年度は1月31日までの発売なので、今回が2016年版の最後になると思います。

ぐるっとパスを買ったのは、今回が4度目。2000円で最初に使ってから2ヶ月間、東京周辺の79の施設が入場できたり、入場料が割引になるってのが、ぐるっとパスの魅力なんですが、実は過去3回の利用実績は、平均3施設。ほとんど元が取れていない、負けっぱなしの状態です。

これではいけない。

そこで今回は、2か月の間になるべく多くの施設に行くことを目標に掲げました。(ちょっと大げさ)

冬の季節は寒いし、外に出たくなくなりがちなので、外に出るきっかけにもなりますしね。

入場できる施設数は?

2か月で果たしてどれくらい回れるのでしょうか。

今日2017年1月24日にぐるっとパスを購入したので、期限は3月23日までの58日間。今回は割引ではなく、入場できる施設に絞って攻めてみたいと思います。この期間に休館になっていなくて、常設展または企画展に入場可能な施設は、55ありました。

58日間で、55施設。なかなかハードなことになりそうです。

初日は、東京国立近代美術館フィルムセンター

 初日の今日はどこにしようかと、以前どこかでもらったぐるっとパスのチラシをみていたら、東京国立近代美術館フィルムセンターが2017年1月30日~2017年3月31日の間、電気工事で休館になると書いてありました。

これは、今週行っておこう!ということで、初日は東京国立近代美術館フィルセンターに決定しました。

www.momat.go.jp

 場所は、京橋駅から徒歩1分。地下鉄を降りて、階段を登ったらすぐありました。

 入り口は、こんな形。

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 「日本映画の歴史」という常設展と「戦後ドイツの映画ポスター展」の企画展をやっていました。

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建物内は

1階は、エントランスと休憩スペース。
2階は、大ホール。定期的に映画を上演したり、トークショーをやったりしているようです。

4階には、図書館。荷物をコインロッカーに預けて、受付でパスをもらって入場します。映画関係の雑誌や本がありました。そんなにたくさんは開架されてなかったけど、検索機があったので、奥にはたくさんあるのかもしれません。アニメーションのコマ数を節約するという記事の冊子があったので、読んでみました。

そして、7階が展示室。

企画展の「戦後ドイツの映画ポスター展」を見ようと思っていたのですが、「日本映画の歴史」とそのままつながってみる形のようでした。

日本映画の歴史

順路が先に「日本映画の歴史」を見るようになっていたので、まずはそちらから。映画会社の系統や、日本最古のフィルム映像や、映写機やカメラが展示されていました。

いくつか映画の一部映像を再生したりもしていたのですが、意外と面白いものもありました。印象に残ったのが、こちら。

成金 

白黒映画。表情が白黒でも分かるようにか目張りと表情が誇張されすぎておもしろかったです。疑ってる顔、焦ってる顔とか、そこまでしないでもっていうくらいでした。

狂った一頁

1926年の日本の前衛映画。脚本は川端康成らしいです。フィルムが焼けたと思ってたら、奇跡的に蔵から発見されたそうです。舞台は精神病院。独房で踊り狂う妻。雷、大雨、幻想世界。白黒で音はないんですが、見入ってしまいました。

展示では5分間くらいでしたが、全体は70分くらいあるらしく、いつか見てみたいです。

狂つた一頁 - Wikipedia

ホーム・マイホーム

ペーパークラフトのアニメーション作品。きつねともぐらが家を求めて、それぞれ地上と地下を進んでいくんですが、歌もキャラもすごくかわいくて好みでした。岡本忠成という人の作品らしく調べてみたら、みんなの歌の「メトロポリタン美術館」もこの人の作品だと知ってびっくりしました。子どもの時、大好きでした。

タイムトラベルは楽し~メトロポリタンミュージアム

美術館に夜まで隠れていたら、そんな楽しいことに出会えるのかなと子供心に思っていました。

www.youtube.com

戦後ドイツのポスター展

日本映画の歴史のコーナーを超えたら、本日のお目当の戦後ドイツのポスター展でした。2部構成で、西ドイツと東ドイツとで別れて展示してあったのですが、雰囲気がぐっと違いました。西ドイツの方がタイポグラフィーやデザインに思い切りがあって、ねんど的には、そちらの方が好きでした。

名前は知っているけど、見たことがある映画も多数あって、見てみたくなったり。

「野火」「七人の侍」のポスターもありました。

 

それにして、この美術館、映画なども上映しているらしいので、電気工事が終わったら、また行ってみようかと思いました。シアターも気になりました。映画の世界も沼なんでしょうね。

うろうろねんどの旅は続く!

クロアチア・スロベニアをうろうろ(12)2016/6/17(金)ポストイナ鍾乳洞その3旅は道連れ

こんばんは、ねんどです。
随分激しく時間が空いてしまいましたが、新婚旅行の続きを書きます。

前回は、ポストイナ鍾乳洞で地下世界を見てきたねんどたち。
今回は、お土産巡りをして、次の目的地プレジャマ城(洞窟城)に向かいます。

ポストイナ鍾乳洞のお土産(主にホライモリ)

ポストイナのお土産といえば、ホライモリ(英語ではプロテウス)のグッズがたくさん。ホライモリのキャラはこんなのです。

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ねんど達も買ってみました。英語ではプロテウスというので、プロちゃんと名付けてみたり。

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ホライモリの現物は、ポストイナ鍾乳洞の終わりの方に水槽にいるのを見ることができました。ヨーロッパで唯一洞窟内で生息する脊椎動物。光に弱い生き物らしいのでフラッシュをたかないで的なことを聞いてたけど、みんなバシバシ写真を撮ってて心配でした。。100年も生きられるらしいです。

ホライモリ - Wikipedia

昔、鍾乳洞には生き物は存在しないと思われていたそうです。

ところが、ポストイナ鍾乳洞の下流の地域では、川が増水した時に生き物が流されていたそうです。それがこのホライモリなのですが、地元の人は龍が洞窟に住んでて、その子供が流されてきていたと思っていたそうです。

その後、1797年ヨシップ・イェルシノビッチ・フォン・ローヴェングライフという人がこのポストイナ鍾乳洞の周辺のチュルナ鍾乳洞でホライモリを発見し、生物学者が遠くから見に来るようになったそうです。当時きっと世紀の大発見だったんでしょうね。

そんな豆知識はみんなこのお土産屋さんで売っていたこの本に載ってました。いろんな言語であって日本語もあったので買ってみました。いろいろと勉強になりました。

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他にはスロヴェニアの名物のはちみつなども売ってました。

お昼

お腹もすいてきたし、次の目的地をどうしようか相談がてらランチにしました。(この時点では、まだプレジャマ城(洞窟城)に行くと決めてませんでした)

このお店で買って道の向かいのテラス席で食べます。

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 食べたもの。サンドイッチと、カフェラテ。ガス入りウォーター。サンドイッチはチーズとハムがおいしかったです。

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写真を撮り忘れましたが、テラス席からは川と水車も見えました。緑も多くて、ここでゆっくりするのも楽しそうです。でもせっかく来たのでやっぱりプレジャマ城(洞窟城)に行くことにしました。

プレジャマ城(洞窟城)へ行けるのか?

プレジャマ城(洞窟城)へは、昔はバスがあったらしいのですが、今はタクシーしかないそうで、Tourist Informationの人が「タクシー乗り場は駅の方、見つからなかったらもどっておいで」と言っていたので、駅の方に戻ることにしました。

ポストイナ鍾乳洞の前の公園の出口を出ると、こんな看板を発見!他の言語もいくつかありました。日本の団体バス向けなのかな。

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ねんどが写真を撮っていたら、旦那さんが、少しマッチョな白人の男の人と話しています。どうしたのと聞くと、「タクシーを知らないか。キャッスルに行きたいんだ」と言っています。私たちも探していると言うと、じゃあ一緒に探そう。ということになりました。

ねんど達パーティーに仲間が加わった!

ブラジルから来た人らしいです。タクシー乗り場は駅の方にあるらしいというと、「駅は遠いから戻るのはきついね。ここの駐車場で行く人を探す?僕は、さっきいくつか当たってみたけど、ダメだった」っていうので、駅の方に向かいつつ、見つけられたら乗り込もうという話になりました。

駅に戻りがてら、どういうルートで旅してるかなど、話をしました。

ブラジルの人は、前日はブレッド湖に行ってて、ポストイナ→洞窟城の後は、リュブリャナザグレブプリトヴィツェ湖群公園→アドリア海を南下して、ドブロブニクに行くらしいです。3週間かけて回ってるそうで、スロベニアは友達が行って良かったと言ってたから来たそうです。

私たちは、今夜ブレッド湖に泊まるっていうと、「ブレッド湖はすばらしかった。あの風景を見ていると、仕事とかいやなことを忘れられたよ」というようなことを言っていました。ブレッド湖の写真を見て、スロベニアに来たので、ますます楽しみになりました。彼は「僕の英語はTerribleだ」と言っていましたが、ねんど達の英語の方がよっぽどTerribleで、でもお互い旅人で、言葉が出ないもどかしさはあったけど、意外と盛り上がるもんだなと思いました。

見つからないタクシー

さて、そうこうしてたら、バスセンターのあるポストイナの町に着きました。ブラジルの人が、道行くおばさんに「タクシーに乗れる所はありますか」と聞いてくれたら、おばさんは「わからないわ。そこのレストランの人なら知ってるかもしれない」と、いっしょにレストランへ行ってくれました。レストランのおじさん「すまないが、知らないな。向かいのバーの人なら知ってるかも」

おばさんと、レストランの人にお礼を言って、お店を後にしました。なんだか伝言ゲームや借り物競争な気持ちで、バーへ。

ブラジルの人が、バーのお姉さんとフランクな感じで何か話してて、お姉さんはタクシー会社に電話してくれました。

しかし「ごめんなさい。全部出払ってるって」

万事休す・・・

これは、最初に行ったTourist Informationで情報を聞くしかなさそうです。中に入ると、他にもタクシーを探している人がいて、「ここを出て右側に泊まってる所がある。台数は少ないけど」的なことをTourist Informationの人が言っていました。

「これは!」とブラジルの人と目配せして、サンキューと言ってTourist Informationを出ました。聞いていた人には悪いけど、タクシーは我々がいただきますぜ。

足早に歩いていると、東洋人らしき人(まあ、ねんど達もそうなんですが)がブラジルの人に話しかけています。「もしかして、タクシー探してる?」「Yes!」「相乗りする人探してるんだけど、いっしょにどう?」

これは!渡りに船とはこのことです。

へい!タクシー

タクシーが止まっている所に行くと他に2名ほど東洋人らしき人達が待っていました。ん?人数が全部で6名。タクシーに乗り込めるのでしょうか。

運転手「OK!行こう!」

行けるみたいです。みんな乗り込みます。

へい!タクシーと日本のように簡単にはいきませんでしたが、これでなんとかプレジャマ城(洞窟城)に行けそうです。

次回は、プレジャマ城(洞窟城)へやっと到着です。

うろうろねんどの旅は続く!