みさきまぐろきっぷの旅2018年04月30日
こんばんは、ねんどです。
気づいたら前回の投稿から1年も経過してしまいました。久しぶりすぎる更新です。
まぐろ食べたいなって事で、京急電鉄から発売されている「みさきまぐろきっぷ」で、三崎港と城ヶ島に行って来ました。
みさきまぐろきっぷって?
みさきまぐろきっぷは、京急電鉄から発売されている「三崎口との往復とバス乗り放題券」+「まんぷく券(食事券)」+「おもひで券(施設利用やおみやげと引き換えできる券)」の三枚つづりの切符のセットです。お得率が高いので、いろんなメディアとかに取り上げられてて気になってました。今回はこれを使って、日帰り旅に出発です。
三崎口駅到着!
11:15くらいに到着。
階段にWelcome Miura peninsulaって書かれてて、なんだろうと思ったら、ペニンシュラって半島って意味があったんですね。
ホテルの名前じゃなかった。。
観光案内所で、三崎港と城ヶ島の地図をもらいます。スタッフのおじさんが、にじいろさかな号って海中が覗ける窓がついてる船に乗るんだったら、先にチケット買ってからその間にお昼食べるといいよって情報くれました。
バスで三崎港まで
まずは三崎港までバスで向かいます。11時25分 三崎口からバス乗車。
臨時便が出てるのか待たずにすんなり乗れました。
車窓からはキャベツ畑がたくさん見えました。まぐろの事で頭がいっぱいだったけど、三浦半島の野菜、美味しそうです。
三崎港到着
12時前に三崎港到着。予報では晴れのち曇りってことでしたが、この時点ではまだいい天気。
観光案内所の人に聞いた通り、まずはにじいろさかな号のチケットをみさきまぐろきっぷのおもひで券と交換。13時台までは完売。14時すぎの回以降は空きがあるとの事でしたが、うろうろしたいので15時台のにしました。
お昼へゴー
みさきまぐろ切符のパンフレットから、あらかじめ行きたいお店をチェックしていました。
とろとろ丼が美味しそうな紀の代ってお店。
とろとろ丼っでネーミングからもう美味しそう〜
みさきまぐろきっぷで食べられるお店は、混雑状況がサイトで確認できるので便利です。
見たらサイトには1時間待ちって書かれていました。なんとか待てるかな。
三崎港のバス停から歩いて10分くらいで紀の代のお店へ。
名前を書いて待つ方式みたいで、見ると10組ちょっとくらい。名前を書いて、お散歩に出かけます。
お昼を待つ間、お散歩へ
お隣は超有名店のくろば亭。こちらは2時間待ち。道を挟んだ所に待合室があるほど。こちらもいつか行ってみたいです。
かわいい雑貨屋さん。お店の前にお散歩マップが書かれてました。絵葉書をゲットしました。
こういう地層の上に建物建てているの盛り上がります。
海南神社
こいのぼりが出ていました。GWですね。
お参りする時に降る鈴がやたらたくさんあって、珍しいのでご朱印いただく時に聞いてみました。参拝する人が鈴を奉納して、自分の鈴を鳴らしてお参りするそうで、これ以上ぶらさげると、屋根が重みで壊れそうなので、この数にしているんだそうです。
源頼朝が植えたというご神木の銀杏の樹。羽を広げたように見えます。
登りたくなる階段
結構な急な階段があって、登ったらきっと景色がいいだろうと、登ってみました。
登りきるとお墓があって、さらに奥に行くといい景色。
夕方行く予定の城ヶ島へ渡る橋が見えました。城ケ島、結構近いんですね。 リクライニングシート的な椅子がありました。
これに寝転ぶとより景色を楽しめるのかなと、ごろん。
結果、空しか見えませんでした。どうやら壊れている椅子のようでした。。
電柱の看板の錆具合が海に近いって気がします。
すなっくセニョールがいい味出してます。
海見たり
他にも写真展してる所や型染めの大漁旗のお店もあったりして、なんだかんだで、時間近づいたのでお店の前で待ちます。
お隣で、さばいた後の魚を干してました。
そして、いよいよ私たちの名前が呼ばれ、順番が来ました。サイトに書いてあった通り、ぴったり1時間くらいでした。
きたーーーとろとろ丼!!
とろとろ丼は、まぐろのづけ、ネギトロ、ビントロ、ユッケがのったどんぶりで、つけあわせに本日の小鉢(この日はまぐろの筋の煮凝り)とつみれ汁がついてました。
その名の通りとろとろでおいしくて、あっという間に完食でした。づけのたれもいい味してました。スタッフの人たちもきびきびしつつ、お客と和やかに話す余裕もあって、いい雰囲気でした。行列店に行くと時々、忙しさのあまり機械的になってたりぎすぎすしてることがあるけど、ここの人たちはそんな事がなくて、いい意味で忙しさに慣れてるんだなって思いました。夜も行ってみたくなりました。
船の時間までうろうろ
切符を買ったにじいろさかな号の出航までまだ時間があるので、お散歩再開です。
魚を干していました。海に近いって感じがするな。
知らなかったんですが、ユニバーサル広告社ってドラマのロケ地になったみたいです。「ここ探してたの~」って写真撮ってた人がいたので便乗して写真撮って、帰って調べてびっくりしました。
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スタンプラリーやってみたり、スタンプ集めたら、ちょっとした物がもらえました。ちょっとうれしい。
澤田痴陶人美術館の方のバス情報
スタンプラリーで立ち寄った澤田痴陶人美術館の方が、びっくりするほど親切でした。三崎港から三崎口へのバスは混むから、城ケ島から乗った方が乗りやすいこと。三崎港からバスに乗れない場合は、10分くらい歩くけど三崎東岡ってロータリーがあるバス停があって、そっちは違う路線のバスも止まるから、そっちから乗るといいなど、いろいろ教えてくれました。
さらにバスの時刻表のコピーも持ってて、写真を撮らせてくれるという丁寧ぶり。ちょっと感動的でした。
チャッキラコ
靴をぬいで建物の中が見て回れました。増築をしているとのことで、蔵と木造の建物がくっついてる部分が構造的におもしろかったです。
季節柄、五月人形の展示や、昭和の暮らしやチャッキラコの紹介がされていました。
チャッキラコとは・・・毎年1月15日の小正月に先ほどいった海南神社で、豊漁・豊作や商売繁盛などを祈って女性のみで踊られるこの辺りに伝わる民俗芸能
ユネスコ無形文化遺産に登録されているそうで、ちょっと見てみたくなりました。
うらりマルシェ
港のところにある市場みたいなところでお魚買ったりお土産買ったりできました。14時ごろ行ったら人多い!(帰り際の夕方4時ごろは少なくなってました)
お土産にピクルスと、イカ焼きはここで食べるように買いました。買ったお店の人があっちに椅子があるからね~って教えてくれました。三崎港の人は親切な人が多いみたいです。
休憩スペース。まぐろになって写真撮れるみたいです笑
UFOキャッチャーのチョイスも魚介で攻めてました。
にじいろさかな号
そうこうしているうちに乗船時間が近づいてきました。船内で飲もうとアイスコーヒーをいい感じのカフェでテイクアウトしたんですが、考えたら船内でごみを出すとめんどくさそうなので、直前に一気飲みして、乗船しました。船は60人乗りだそう。
甲板から階段を下りていくと、こんな感じで窓がついてて、水中の様子が船内から見れます。
窓の席がなくなる前にと急いで下に降りたのですが、出航してポイントにつくまでは船内からは見えませんとアナウンスがあったので、甲板に出ることにしました。
出航するとあっという間に港が離れていきます。
橋の下を通ります。
鳥のえさを購入できて、やることができます。とんびがたくさんやってきます。
10分ほどすると、ポイントに到着。お魚が見えるというので降りていきました。しかしねんど、一気飲みしたコーヒーが胃袋の中でチャプチャプして若干船酔い状態であんまし写真は撮れませんでした。ピントがあってない写真が・・・
教訓、船に乗る前に飲み物を一気飲みするべからず。フグとかも出てました。
甲板に出ると魚のえさやり体験ができました。水中にえさをやると、魚が一気にやってきてました。
少しして、船は港に戻りました。
港に戻り、少しゆっくりして、次は城ケ島です。
城ヶ島へ
16時25分のバスに乗って、城ヶ島大橋を通り城ケ島へ上陸。10分くらいでした。白秋碑前というバス停で降ります。
白秋碑を見た後、ウミウ展望台から馬の背洞門へ行って、水仙ロードか、城ケ島ハイキングコースを通って城ケ島灯台の方へ行き、城ケ島バス停からバスで三崎口に戻るルートを考えています。
白秋碑
道を渡って少し行くと、砂浜でそこに白秋碑がありました。北原白秋は三崎に住んでたことがあったみたいですね。白秋記念館というのもそばにあったのですが、閉まっていました。GWに休みとは、やる気がないのでは思ったら、16時で閉館だったみたいです。この時、16時50分くらい。ちょっと来るのが遅かったですね。
ウミウ展望台
白秋碑を後にして、城ケ島で一番気になっていたウミウ展望台を目指します。
坂道がちょっとあって、看板をたよりに小道に入ると、途中ちょっと分岐で迷いそうになりました。地図があってよかった。
小道に入った後、ウミウ展望台までは思ったより近かったです。形がおもしろい!
秋から冬にはウミウって鳥がやってくるみたいですね。ちょっと見てみたいです。
馬の背洞門
森の中の道を行くと、分岐があって、馬の背の洞門の方へ。海の方へ降りていきます。
海~!!水平線が見えてきました。奇岩がたくさんありそうな気配。
来ました馬の背洞門です。
雲が出てきて少し光が弱かったので、快晴の強い光の時はまた違う感じで見えるのかなともいました。
海沿いをずっと見ると、ずっと海岸が続いています。
地図でみた海沿いのハイキングコースはこの道を行くんだったんですね。楽しそうなので、こっちを進むことにしました。
火山でできたんでしょうね。普段なかなか見れない景色が続いています。
しばらく歩いていると、だんだん人工物が見えてきて、海岸は終わりました。
城ケ島灯台です。
城ケ島京急ホテルの駐車場から。こっちは富士山に沈む夕日がが見える方角らしいのですが、雲が出ていて今日はむつかしそうです。
赤い橋が。
橋からの写真です。水がきれい。赤い鳥居がありました。
海側を見ると、ゴジラの背中のように岩がつらなっていました。
お土産屋さんがたくさんあるエリア。18時頃だったので、残念ながらお店はほぼ閉まっていました。
楫(かじ)の三郎山
バス停で時間を確認。18時25分のがあったので、すぐそばの 楫(かじ)の三郎山にいってみました。
実はここは昼間参拝した海南神社とゆかりのある所でした。由来の説明にこうありました。
海南神社の祭神の藤原資盈(つけみつ)公が貞観六年(864年)に九州博多を出航し、途中暴風にあい漂流の末、三崎に着岸されました。このとき、お座船のかじ取り役をつかさどっていた家臣三郎をこの山に祀り、楫の三郎山と呼ぶようになったと伝えられています。
ねんど、福岡出身なので福岡と聞くとテンション上がります。あんな遠いところから船旅で漂流して、よくぞ無事だったと思います。それは祀りますね。
後で調べたのですが、藤原資盈(つけみつ)公は、房総の海賊を平定したそうです。神奈川と千葉というと離れている感じしますが、確かに東京湾で海つながっているんだなと思いました。
上から、三崎港も見えました。
そうこうしていたら、バスの時間になったので、バス停に戻りました。いつのまにか結構人が並んでいて、出発時には満席になっていました。
バスに乗ってる間にとっぷりと日は暮れ、三崎口駅に着くともう真っ暗でした。
駅の名前、マグロになってて笑いました。
みさきまぐろきっぷ、フル活用しました。確かにある程度は使えるところが限定されるのですが、制約はそこまで感じず、カフェやお土産以外はお金を全然使ってなくてお得感が半端なかったです。
それから、三崎港の町よかったです。まぐろもおいしかったですし、親切な人も多かったように感じましたし、他にも行きたいお店もできたので、また行こうかなと思いました。
うろうろねんどの旅はつづく!
お伊勢さん菓子博2017その2 いよいよ現地へ(2017/4/26水)
こんばんは、ねんどです。前回に引き続き、2017/4/26に行ってきたお伊勢さん菓子博2017のことを書きます。前回は、お得な切符とか菓子博についての豆知識。今回はついに現地にやってきました。
いざ菓子博!現地へ
松阪で1泊し、観光し松阪牛を食べて、翌日、松阪~鳥羽へ。
鳥羽駅に荷物を預けます。近鉄の改札近くのコインロッカーは中が600円だったんですが、後で見たら鳥羽一番街のコインロッカーは400円でそっちの方がよかったです。鳥羽一番街には、荷物預かり所があって、1個200円でも預かってもらえるみたいでした。
さて鳥羽バスセンターから、会場へ向かうバスには直通と各停があり、ねんどたちは10時発の直通バスに乗ったのですが、数人しか乗っておらず、人が多いと聞いていたのに拍子抜けでした。みんな車でいったのかな。
ところが、会場が見えてくると・・・多そう。。
いざ会場へ。
ねんど達がついたのは10時半ごろ。開場前から入場待ちで並んでいると聞いていたのですが、すでにみんな中に入っているようで、すんなりと入場できました。
予報では雨だといっていっていたので、天気が心配です。ねんど傘を忘れてきたので、降らないことを祈るばかりです。
赤福「祝盆」
まず最初に向かうのは、おかげ茶屋の白い赤福といつもの赤福セットの「祝盆」。
GWからは抽選制にするみたいですが、この時(4/26)は整理券の早い者勝ちで、すでに配布は終了していました。聞くと、15分くらいで終了していたみたいです。(復刻版も同様)
昼過ぎにおかげ茶屋に行った時に、整理券を持っている人のために用意されているのがあったので、写真だけパシャリ。白い方の赤福は、白小豆を使っているそうです。
食べたかったな~笑
祝盆と復刻版でがっくりしてたところで、ふと見ると、何か撮影していて、その中にお伊勢さん菓子博の公式キャラクター、いせわんこがいるじゃありませんか。
いせわんこ、かわええ~ポーズ撮ってくれました。
お茶席
着いていきなり歩き回るのではなく、まずはゆっくりとお茶席へ。
裏千家、表千家の人がたてていました。ねんど、お茶の心得はありませんが、両方がたててるってお祭りって気がします。
この日のお菓子は、「御菓子司 亀屋清泉庵」の「春の野」というお菓子。
山の芋をすって米粉を練りこみ餡を包みこんで蒸した薯蕷饅頭です。色合いや形にさまざまなものがありますが今日は春の日ふさわしくふっくらと腰高に蝶が飛ぶ姿にしあげました。中にこしあんが入っています。
入口にこんな説明が貼ってありました。お抹茶とともにいただきました。
会場の道
雨がポツポツ来だしたので、まずはサブアリーナの工芸館に向かいます。
菓子博のノボリが道の両側に立っています。
端っこが鯉のぼりになっているノボリも。
近くにある安土桃山文化村の人もチラシを配りに来ていました。写真撮っていいですか?と聞いたら、「印籠出しましょか」というノリの良さ。助さん格さんのようです。
山の中に謎の城が見えたのですが、どうやらそれがそうみたいです。
お菓子の匠 工芸館
工芸菓子って知っていますか?お菓子の材料を使って作る観賞用の作品らしいんですが、ねんど前にテレビで見てすごく楽しみにしていました。お菓子とは思えない出来栄えなんです。本当に細かくて、半端ない技術!前回の広島の時は写真禁止だったと母が言っていましたが、今回はOKでした。
こんな感じでガラスケースに展示してありました。ほんと美術館みたい!
作品は花にしか見えなかったり
彫刻でしょって作品だったり。
賞を取っているのには札がついてました。人気のある作品には人だかりができていて、美術館に来たのかと思ってしまいそうでした。
洋風なのもありました。
仕事が細かい!
展示の仕方もいろいろ工夫してありました。
毎月のお菓子と花をならべてみたり。12月がクリスマスで、なるほどって感じでした。
詩的な世界を演出していたり。
好きな作品、白ふくろう。拡大してみてもちゃんと羽の質感を表現しててすごいなと。
今回ならではの作品も。
お気づきですか。いせわんこがおる!
伊勢えび何人前やねん!わらっちゃいました笑
キラキラのものもありました。
近くでみたり全体を見たりして、堪能しました。まだまだたくさんあって、見とれるほどのすごい技術でした。食べるだけが菓子博じゃないんですね。
「フードコート」と「メインアリーナ休憩所」
外に出ると雨が降っていました。
メインアリーナの観客席が休憩用に解放されていたので、フードコートで昼ごはんを買って、休憩します。
▼後で天気が持ち直した時に撮ったフードコートの様子。
メインアリーナ3F入口あたりでは、「煎」というコーヒーが無償で配布されていて、行列ができていました。コーヒーの香りが漂っていい気分になりましたが、買ったのが「てこね寿司」で盛大にあわないので並ぶのはやめました。
▼休憩所になっているメインアリーナの観客席。屋根があるので雨が降っても安心でした。
メインアリーナを上から見下ろします。後でいきます。
企業ブース
お腹がいっぱいになって、満足したところで、外に出てみると、雨がやんでいたので屋外にある「企業ブース」を見て回ります。今回の菓子博では大手お菓子会社8社が出展していました。母とさて、大手8社ってどこでしょうクイズをしたりしました。
正解は「ヤマザキパン」「不二家」「明治」「ブルボン」「江崎グリコ」「ロッテ」「カルビー」「森永製菓」の8社でした。
めだっていたのは、グリコ。この風船ポッキー棒を持っていた人の多かったこと。
グリコ製品詰め合わせセットを買うともらえるんですが、道行く人が持っているとつい自分も欲しくなって買ってしまうという罠。ねんども見事にはまり、買っちゃいました。翌日伊勢でコインロッカーに入らなかったので、ポッキー棒を持って、伊勢参りという神様もびっくりな事になってしまったのですが、持ち歩いているといろんな人に「菓子博どうでした」って声かけてもらって宣伝効果抜群でした。
ただ、都内に帰ってきて帰宅ラッシュに巻き込まれ、ポッキーでいろんな人を小突いて回った時はちょっと申し訳ない気持ちになりました。聞いてる人のイヤホンのコードに引っかかって、ビンってなってごめんないって言ったら、今度は後ろの女性にぶち当ててたり・・・汗
ロッテのブースも面白かったです。コアラのマーチと写真撮ったり、コアラのマーチの360種類の表情が一気に展示してあったり。
ピンクの矢印があるのがレアらしいです。
カルビーのブースでも「ぽて君博士」ってキャラクターと写真撮りました。
不二家の菓子博限定のカントリーマームが売り切れて残念。あと、ブルボンのパティスリー、森永も入場のタイミングあわなくて見れませんでした。
8社ではないけど、井村屋の小豆セットを買ったら、「あずきキング」ってキャラの風船くれました。ポッキーとコラボ(笑)
小豆羊羹、片手で食べられるのが手軽で、おいしいです。
しんかパフェ
少し歩いて疲れたので、甘いものを食べようと「おかげ茶屋」へ。時間は1時半この時間になると少し行列が落ち着いてきていました。
スイーツはもう一軒「aiai cafe」というところがあったのですが、ねんど今回の目当ての甘味。「しんかパフェ」を食べます。
「しんかパフェ」は、老舗お菓子メーカー6社が共同で開発したパフェで、どら焼きのところは「両国屋是清」、甘納豆は「花園饅頭」、お餅は「赤福」などなど、ここでしか食べられないものになっています。これ全部集めて作ろうと思ったら大変です。メインアリーナで配っていたコーヒー「煎」もついてきました。これはこのお菓子屋さんのだと一つ一つ確認して食べて、幸せな気持ちになりました。
しんかパフェの説明はこちら。
「全国菓子蚤の市」と「おもてなし街道」
全国菓子蚤の市は、日本全国のお菓子1800種類が集って買えるというところなんですが、なんと建物への入場が90分待ち。レジが20分待ちとのことで、萎えてしまっていってません。。
全国お菓子夢の市 お菓子紹介 | 第27回全国菓子大博覧会・三重
ただ、おもてなし街道でいくつか買いました。
「いせわんこ羊羹」と「柿羊羹」
「走井餅」大津のお菓子です。後でホテルで食べましたが、見た目を裏切らない餅のやわらかさでおいしかったです。
「いせわんこのWAONカード」
会場ではWAONが使えたんですが、ねんどWAONを持っていなかったのでいい機会とゲットしました。これから使うたびにお菓子博のことを思い出せそうです。
「お菓子のテーマ館」と「全国お菓子であい館」
最後にメインアリーナに向かいます。お菓子のテーマ館。
地元の高校の作品や、どうやら巨大工芸菓子があったそうですが、ものすごい人であんまり見れませんでした・・・。今見そびれたの気づきました・・・ひょーー
「全国お菓子のであい館」は、最初いろいろなお菓子団体の紹介、その後、各県のお菓子の紹介と続きました。
▼日本チョコレート・ココア協会のココアンとカカオン
全国半生菓子協会
「全国油菓工業共同組合」かりんとの定義。こんなものものかりんとなんだってものがありました。
他にも「日本チューイングガム協会」「日本ビスケット協会」などなど、こんなにたくさん協会あったんだなって思いました。
つづいて、各県の展示。
伊勢に近い県から始まって、だんだんと離れた県が展示されていました。
お菓子に詳しい母は大喜び。色々教えてもらいました。でも見に来ているお客さんも「ああ、○○県といったら△△さん(お菓子メーカー)よね」と言ってる人が結構いてみんなお菓子好きなんだなと思いました。
それぞれ県によって展示方法もちがいました。観光案内をいっしょにおいていたりしていました。
熊本の「ひごまるくん」の巨大ケーキもかわいかったです。
拡大すると確かにケーキ。おいしそう
いくつか気になったお菓子を紹介。
「五郎丸屋のT五」。なんだかおしゃれ。どんな味がするのか気になります。
越中富山の「ひすいパン」。危険な色をしています。これ机にそっと入ってたらドキッとしそう・・・
山口風月堂の「大内もなたん」。きっと最中なんでしょうけど、包みのかわいさに手を出したくなります。
他にもたくさんあったのですが、ここでチェックしたお菓子を旅した時に食べようと心に誓ったり。しゃれたパッケージに入ってたり、昔ながらのパッケージのものなど本当にいろいろあって、こんなにたくさんのお菓子を一度に見られるのはまさに菓子博だな思いました。
似てるやつもあって、これは○○系やねとか勝手に系統づけするのも楽しかったです。
終わりの方に、最中の皮のメーカー、あんこメーカー、パッケージ屋も来ていて、自分で作るオリジナルのお菓子の妄想をしたりしながら、会場を後にしました。
4年に一度開催されるお菓子のお祭りお菓子博。たくさん歩いてくたくたになりましたが、気づいたら羊羹ばっかり買ってしまいましたが、ほんと楽しかったです。伊勢お菓子博は5/14まで。気が早いですが、次回の菓子博はどこで開催されるんでしょうね。今回でファンになったので、行きたいです。
最後にスタッフの背中のいせわんこ、かわいかったのでパシャリ!
うろうろねんどの旅は続く!
お伊勢さん菓子博2017その1(2017/4/26水)
こんばんは、ねんどです。
三重県の伊勢市で2017年4月21日から5月14日までやっている「お伊勢さん菓子博2017」に母と行ってきました。
実はねんど、このイベントのこと知りませんでした。母がお土産に妙に詳しい人で、会社名とお菓子の名前がデータバンクのように頭に入ってて、地名をいうと「〇〇ってお菓子屋の△△ってお菓子を買ってきて」と言ってくるほどの無類のお菓子好き。そのお菓子のいわれまで知っているので、絵もうまいし、本でも書けばいいんじゃないかといつも思っているのですが、そんな母が行きたいというので、便乗していってきました。
菓子博って
この菓子博、ほぼ4年に一度、各県持ち回りで開催されている日本中のお菓子屋さんが大集結するというお菓子のお祭りです。第一回は明治44年で「帝国菓子飴大品評会」という名前だったそうで、100年以上も歴史のあるイベントだそうです。
前回2013年は広島、今回は三重。三重といえば、お伊勢さんなので「お伊勢さん菓子博」ってことなんでしょうね。
全国のお菓子屋さんが大集結しているので、普段食べることもできないお菓子にも出会えるし、食べられます。工芸菓子って彫刻みたいな楽しみです。
イベント期間限定で、白い赤福といつもの赤福の紅白で「赤福もち 祝盆(いわいぼん)」、江戸時代から明治に作られていた黒糖味の赤福餅「復刻版 赤福」、老舗お菓子屋6軒が共同開発したという「しんかパフェ」といったお菓子が発売されるそうです。食べてみたい!
情報収集
ねんど、事前に東京は日本橋にある三重県のアンテナテラス「三重テラス」にいってパンフをもらったり、情報収集してました。
三重テラスは、1Fがお土産屋とカフェになっているのですが、ねんど三重に行くのに早まって伊勢うどんを食べてしまいました。三重の人気の3社から選べます。甘めのたれに太い麺でおいしかった~スイーツもよさそうでした。
三重テラスでも、菓子博を盛り上げるためにいろいろとイベントをしているようでした。もらった伊勢新聞。菓子博の情報がいろいろ載っていました。さっき書いたのも全部受け売りです(笑)
菓子博へ向かう!(交通手段)
普通に交通機関を都度払いで行くのもいいのですが、お得な切符があるみたいです。
ねんどは母と名古屋で待ち合わせて、1日目は松阪、2日目は菓子博~鳥羽に宿泊して、3日目に夫婦岩~伊勢参りという流れにする予定です。
調べた切符はこんな感じ。
伊勢路フリー切符(JR)
http://railway.jr-central.co.jp/tickets/ise/
快速「みえ」号の普通車自由席の往復に、JR線フリー区間内(松阪~鳥羽)の快速・普通列車の普通車自由席が乗り降り自由。さらに、きっぷに指定されたタクシーを6,000円分※ご利用いただける「タクシー乗車引換券」をセットにした大変お得なきっぷです。”
松阪からフリーエリアなのがいいです。タクシーは使うことがあったら便利そう。時間的に近鉄の方がよさそうだったので、これはやめました。
伊勢鳥羽みちくさきっぷ(三重交通)
http://www.sanco.co.jp/shuttle/sp/shuttle03-01/post-10.php
1日1000円、2日で1600円。指定区間のバス乗り放題で観光施設の割引券付。
鳥羽~菓子博の会場までが片道590円なので往復するだけで元が取れるという優れもの。1日券を鳥羽バスセンターで買ったけど、翌日夫婦岩に行ったので2日券にすればよかったと後で思いました。
お伊勢さん菓子博往復切符(近鉄)
http://www.kintetsu.co.jp/senden/Railway/Ticket/oise/index.html
調べた時にすでに入場券をコンビニで買っていたし、松阪で降りるので対象外としました。
伊勢神宮参拝切符(近鉄)
http://www.kintetsu.co.jp/senden/Railway/Ticket/sanpai/
バスとセットならこれがいいと、行く前はそのつもりでしたが、なんと前日までの予約購入しかだめだったので結局断念。(サイトに書いてあったのに窓口で気づくというミス・・)特急の時間があったので、お得な電車切符は買わずに名古屋を出発しました。
次はいよいよ現地へ
うろうろねんどの旅は続く!
ぐるっとパスチャレンジ6:小平市平櫛田中彫刻美術館 2017年3月9日(水)
こんばんは、ねんどです。
先日久しぶりにぐるっとパスを使いました。行ってきたのは小平市平櫛田中彫刻美術館。
小平市平櫛田中彫刻美術館の最寄り駅は、一橋学園駅です。
南口から徒歩10分とのことで、駅を出てとことこ。歩いてたら、わかりやすく矢印が。
大きなみかんの木!
鳩さんがゆっくりしていました。
歩いていてこっちでいいのかなと、不安になってくると矢印が出てくるという親切ぶり。
奥の建物は放送大学のようです。ここにあったんですね。
住宅街の中を歩いていくと、ありました。小平市平櫛田中彫刻美術館。
建物が二つあって、左側が展示館、右側が平櫛田中氏の旧家の記念館となっているようです。
小平市平櫛田中彫刻美術館って
明治大正期の彫刻家の平櫛田中さんが晩年の10年間をすごした邸宅を広く公開するために昭和59年に「小平市平櫛田中館」として開館し、さらに平成6年に展示館を新設し、今の形に至っているそうです。
平櫛田中さん、107歳まで生きたそうで、晩年の10年って、97歳~107歳に住んでいたということなんですね。長生き!ねんど、そこまで生きられるかしら。
ところで、平櫛田中さんって、「ひらぐしでんちゅう」と読むみたいですね。たなかさんかと思っていました。文化勲章を授賞したりしたすごいお人だったそうです。
小平市のHPに詳しい説明がありました。
小平市に来る前は谷中あたりに住んでいて、そちらのお家も残っているようです。いくつも建物が残っているって、すごいことですね。
展示館
まずは、「ロダンと近代日本彫刻展」を見に左側の展示室へ。このブログを書いた時にはすでに終わってしまいましたが。。
ロダンさん、没後100年だったんですね。
建物を入ってすぐがミュージアムショップと受付。ぐるっとパスをもぎってもらいます。どんと存在感のある立像が。
その横を抜けて展示室へ。展示は1階から、2階、最後に地下という順路でした。
国立西洋美術館の入り口にある「考える人」「地獄の門」で有名なオーギュスト・ロダンさん。日本の彫刻界に与えた影響はものすごいものだったようです。
ロダンの作品の他に、というかほとんどは影響を受けた日本の彫刻家の作品でした。あ、これは!ってのがいくつかあったのでご紹介。
萩原守衛氏の「デスペア」
安曇野にある碌山美術館から。安曇野に2回行ったのですが、1度目は閉館してしまって入れず数年後リベンジしました。蔦の絡まる建物は安曇野を象徴している気がします。萩原守衛氏(萩原碌山)の新宿中村屋の初代への奥さんの相馬黒光さんに向けての悲恋の話も強烈な印象でした。
新宿中村屋のサイトにに創業のゆかりの人として紹介されているページがありました。
碌山氏の亡くなり方がつらい・・・
この作品の女性の岩から溶けて出たみたいな体勢は独特ですが、ロダンの影響もあるらしいです。萩原氏の手紙も紹介されていました。ロダンのダナンみたいになってしまったって、ちょっと言い訳のようなかわいい感じのことを書いていましたが、そんなこと抜きにいい作品でした。
モデルは日本人だけど、スタイルが、日本人がそれほど人物の彫刻になれておらず、ヨーロッパのスタイルを取り入れることから始めたため、デフォルメしたんであろうということでした。
朝倉文夫氏の「吊るされた猫」
谷中にある朝倉彫塑館から。この方、大の猫好きみたいで、朝倉彫塑館には、猫の作品ばっかり展示してある温室があります。ここの建物はねんど大好きで何度か行きました。屋上も眺めがいいし、天井まである書斎だったり、丸テーブル特注で作ったりするこだわりの人で、なんだかセンスがよくて、ねんどの中で理想の建物の一つです。ぐるっとパスにも入っています。
高村光太郎の「手」
同じく朝倉彫塑館から。以前美術の番組でとりあげられていて、見たときにこれはって思った作品でした。また会いました。
別のところで出会ったり、知っていることがつながったりすると、すごくうれしいです。
ロダンの影響
ロダンは、いままで完全である事がよしとされていた所を、未完成でもいい、それまで美と認められないようなちょっと醜いようなもの、そこにリアリティというか美を見出すといったような視点があったそうで、当時の人たちはそこに衝撃を受けたみたいでした。
展覧会の構成は、こんな感じですすんでいました。(例によってメモを取ってないので文章のニュアンスが違うかもしれません)
その1.ロダンを師と仰ぐ明らかに影響を受けた人たちの作品
その2.ロダンの思想的な部分を受け継ぐ作品
その3.ロダンの影響から抜け出そうと、あえて違うことをやった作品(これもロダンを意識しているという意味で、ロダンの影響といえるだろうという説明がありました。)
その4.かみ砕いて自分のものとして、同じようなアプローチをそれぞれのやり方でやっている作品
彫刻に限らず、センセーショナルな感性に出会った後、受け入れられていく過程はこんな経緯をたどるんだろうなという構成でした。
最後のその4の所は地下で、ロダンの「カレーの市民」という作品があったのですが、ちょっと演劇のようでした。演出してる感じがしました。伝統的な高い台座に置かないで見る人と同じ高さに置くようにとロダンと市とでもめたそうです。見る高さにもこだわったんですね。
最後に平櫛田中氏の代表作という「鏡獅子」もありました。ロダンと彼は立像を依頼された時にある同じことをしていたそうで、それは何かというと、服を着ていない状態で一度モデルにポーズを取ってもらって、まず裸の状態で彫刻を作る。そのあとに、衣服を肉付けしていくということをやったそうです。
鏡獅子の横には、裸の状態の鏡獅子のポーズをした作品があり、並べてありました。
なんという労力。すごいことをしますね。
▼服を着ている鏡獅子
平櫛田中氏の旧家の記念館
続いて、隣の建物の記念館へ。引き戸をあけて屋内へ。展示室になっているところにいくつか作品が飾ってありました。客室には季節柄ひな人形も。
そして庭園の紅梅と白梅の見事なこと。写真撮りたかったのですが、館内禁止なのでなくなくパンフレットを。庭園ではたまに野立てをしていたりするそうです。
館内のいたる時に平櫛田中氏の名言が飾られていました。
いまやらねば いつできる
わしがやらねば だれがやる
庭にはすごく大きなクスノキの切り株がありました。
この木は平櫛田中氏が100歳になってから彫刻用の原木に置いたそうです。さらに30年は創作活動が続けられるだけの原木が乾燥のために置かれていたそうです。
107歳で亡くなったそうですが、そんな年齢になっても創作への情熱を持ち続けていたんですね。この木をみて、先ほどの「誰がやる」ってのを思い出すと、言葉に力が感じられます。強い思いを持ちながら生き続けるというのは、並大抵なことじゃないなと思いながら、記念館を後にしました。
旧家を外から見るとこんな感じです。
前庭の木が大きい!
帰りは違うルートを通って帰ることにしました。歩きたくなる道。
街並みです。同じ形の建物が並んでました。
途中、音楽への愛あふれるカフェで休憩して、帰りました。
うろうろねんどの旅は続く!
ぐるっとパスチャレンジ5:森鴎外記念館 2017年02月06日(月)
こんばんは、ねんどです。
先日2月6日にぐるっとパスで、文京区立森鴎外記念館に行って来ました。
森鴎外記念館は、東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩5分にあります。
千駄木駅の壁の模様が気になったのでパシャリ
1番出口が一番近いというので、出てみたら団子坂下という交差点。
この坂を登りきったところに記念館はあるようです。団子坂という文字を見て、団子を食べたくなるねんど。団子屋さんはないかなと思いながら、坂をとことこ。残念ながら、団子屋さんはありませんでした。
団子坂上って交差点まで来てしまいました。
ちょっと気になるお店を見つけたので帰りに寄ってみようかと思いながら、歩いてると到着しました。
外観
森鴎外記念館の外観です。和風な建物を想像して来たのですが、意外や意外、モダンな建物。
入口です。
館内
中に入ると正面に鴎外さんの顔の銅板。右の写真は拡大版。壁に埋まっています。
入って右手が、ミュージアムショップになっていて、そこでぐるっとパスをちぎってもらいます。
地下1階が、展示室。
1階はカフェとミュージアムショップ
2階は図書館と講堂になっているようです。
まずは、展示を見ようと、地下におりてみます。数日前の2017年2月2日~4月2日まで「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」というコレクション展が行われているようです。これは外のポスター。
地下へ降りていく階段です。
下から見るとこんな感じ。天井の明り取りが印象的です。
本当にモダン。
調べてみたら、どうやらこの建物は、森鴎外生誕150周年を記念して2012年にそれまであった「文京区立本郷図書館鴎外記念室」から新たに「文京区立森鴎外記念館」に改築されたものだそうです。ちなみにこの場所は、鴎外さんが亡くなるまで30年以上住んでいた「観潮楼」という住まいがあった所みたいです。
地下
階段を降りると右手が、休憩室。左が展示室になっていて、展示室の正面には森鴎外さんの胸像。後ろには原稿などの映像が流れていてました。
展示室は入って、右の部屋が常設展で、まずはそちらから見ていきます。
鴎外さんの生涯
鴎外さんの人生が年表や写真などの資料と共に展示してあります。
鴎外さん、島根県の津和野出身なんですね。1862年生まれ。幼い頃から論語やオランダ語を学んでいたそうです。早熟!
そして、10歳で家族ともに上京し、11歳で東大医学部の前身に入学年齢に達してないのに入学したそうです。神童ですね。。
文学にも興味を持って、医学と共に学んでいたそうです。
その後、19歳で卒業して軍医となり、その実力を認められ、22歳でドイツに国費留学。時は明治時代、軍医というのがその時代を表していますね。
26歳で帰国。それから、軍医として活躍し、たくさんの翻訳をしたり、執筆活動と大忙しだったようです。
友人との交流もすごく濃い。小説家は幸田露伴、夏目漱石、芥川龍之介、田山花袋などなどのそうそうたる顔ぶれ。集まってはいろんな談義をしていたみたいです。正岡子規、北原白秋、石川啄木、斎藤茂吉などの俳人、乃木希典などの軍人とも交流があったみたいで顔広すぎです。
明治天皇が亡くなった時、乃木希典夫妻の殉死に衝撃を受けたみたいで、そこから小説を精力的に書いていたそうでした。知ってる人が殉死って、しかも夫妻でって、相当ショックだったことでしょうね。
福岡県北九州市小倉にも軍医で赴任して来たことがあったみたいです。ねんど福岡出身なので、自分の町が出てくるとなんだかうれしくなります。実家に帰った時には、旧家にいってみようかと思ったりしました。
小倉から帰る時に2度目の結婚で、「ちょっと美術品のような人」と結婚したそうで、その手紙も展示してあって、その表現にくすっとしました。大変な美人さんだったみたいですね。
華々しく活躍していたけれど、60歳で亡くなる直前、友人に遺書を口頭筆記してもらって、墓石には「森 林太郎」と自分の名前以外は掘ってくれるなと言ったそうです。軍から称号を与えるという話もあったけど、断固断ったそうです。
余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス
この言葉には何か拒絶のような孤高の存在のようなものを感じました。
地図と手紙と
東京のあちこちにゆかりの場所があって、地図にゆかりの場所がマップされているタッチパネルの展示がありました。昔の東京の地図と、今の地図に切り替えられるのもいい感じでした。ゆかりの場所を回る人もいるんでしょうね。
手紙も結構残されているみたいで、まめな人だったんだなと思いました。タッチパネルで手紙をみられるような展示もありました。つい最近発見された手紙で、記念館が買い取ったものも。この時代になっても見つかるものなんですね。
子どもさんにも手紙を結構書いていたみたいでした。カタカナで書いてあって、逆に読みにくく感じました。。パパは何を食べたとか、子煩悩なお父ちゃんって感じの文章でした。
企画展「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」
企画展は常設展とは違う部屋でありました。この企画展は亡くなる直前の資料や、亡くなった後に全集が出版されるまでのことを取り上げた企画展でした。
晩年、体調が悪く、足を引きづるように歩いて、仕事してたそうです。人から医者に行けと言われても診察を拒み続け、自分も医者だから症状もわかっていたでしょう。
多分腎をやってると思う。もう手の施しようがない死ぬと言われて精神状態が普通でなくなって、そればかり考えるようになるのが嫌だといったような手記が残されていました。
そして、いよいよ動けなくなって仕事を休み、奥さんから涙ながらに診察を行くように言われ、診察したけれど、もう手遅れな状態だったみたいです。
日記もだんだんと書く筆圧が弱くなって、最後は友人に代筆してもらい、遺言も書いてもらい、亡くなったそうです。享年60歳だったそうです。
デスマスクもありました。
全集の出版は人間関係とかいろいろ大変だったみたいでした。
映像
また別の部屋で、映像が流れていました。3本あって、「千駄木での鴎外の話」、「観潮楼についての話」ともう一つは、3人の現代作家が森鴎外について語っていました。
一人目は、ドイツ語で書かれたものを見て興味をもったという方(名前を忘れてしまいました)。
鴎外さんが日本に帰ってきた時に自分の研究室を作ろうとして、それができなかった。それよりも欧米の技術を翻訳して、世に広めることを求められた。次に小説を書こうとした。そこでも欧米の文学を広めてほしいと翻訳家として求められることが多かった。彼はすごく能力があった人だけど、能力があった故に人から多く求められ、そしてそれに答えるだけの力があった。でも彼は自分のものを世に残したかったのではないか、あれだけの人でも苦悩があったんではないでしょうかと舞姫という作品のことともに話していました。晩年ものすごいスピードで作品を書いていた。もっと生きていたら、たくさん読めただろうとも言っていました。
ねんど、その話を聞くまで、エリートで人望もあって、すごい人だとしか思っていなかったのですが、なるほどそうだったのかもしれないと思ったりしました。
二人目は安野光雅氏。
この人の絵好きなんですが、安野氏は出身が鴎外さんと同じ津和野らしいです。子どもの時は出身地の有名な人ってだけで特に意識してはいなかったそうです。
文語体が好きで、文語体の文章を探すうちに「即興詩人」というアンデルセンの作品の鴎外さんの翻訳に行き当たったそうです。とある人が無人島に一冊持っていくとしたら何がいいかという質問にこの「即興詩人」のことを挙げていたそうで、安野氏も自分もそうだと言っていました。
三人目は平野啓一郎氏。
現在では、森鴎外は夏目漱石に比べて、好きという人が少ないそうです。圧倒的な状況で人が抗えずに結局流されてしまう諦めのようなものがそこにはあって、現代の主人公が打開していくのが好まれる時代とは合わないのかもしれないと、言っていました。ただ、311によって圧倒的なものを経験した我々が今読むと不思議な慰めのようなものがそこにはあって、むしろ今読んでもらいたいとも締めくくっていました。
三人それぞれのコメントに鴎外さんへの気持ちがあって、読んでみたくなりました。
休憩室
展示室を後にして、館内を見て回ることにします。休憩室はこんな感じでした。
2階
図書館と休憩室と講堂がありました。
2階の休憩室の入口。
外には夕焼けが見えました。
図書館は、森鴎外の全集はもちろん、文京区の歴史、明治らへんの文芸本の復刻版などがありました。
1F
1階にもどって、カフェに行こうとしたら、営業が終わっていました・・・
残念無念。
入口のミュージアムショップには、なかなか面白いグッズがありました。
バッチとか、飛び出る鴎外さんしおりとか、いい感じでした。
中庭
建物の外にでました。中庭には鴎外さんが写真を撮った石が残っていました。
記念館の裏に出てみました。
すっかり夕方です。散歩によさそうな小道です。
この後行きたいお店があるので降りませんでしたけど、気になる階段です。
国語の授業で習ったくらいしか知りませんでしたが、今回鴎外さんについてしっかり学べた気がしました。ぐるっとパスにいいきっかけをもらいました。本も読んでみようと思います。
番外編
行き掛けに気になったお店「あめ細工 吉原」。
室内は甘い香りがたちこめていました。作り置きで売っているものと、注文してその場で作ってくれるものがあるみたいです。種類も妖怪や干支などたくさん。写真をみせたら、似せて作ってくれたりもするみたいです。作ってくれるのはポーズも指定したり、メッセージを付けてもらったり、いろいろできるそうです。
せっかくなので、作ってもらいました。飴の素材、日本の飴細工はさらし飴というもので、もともと透明なのに何か混ぜて少し白いような色をしていて、80度くらいの温度に熱して柔らかくなった状態のものを丸めていくそうです。固まるまで3分くらいだそうなので、その間が勝負だって言っていました。
話しながらも素早い手つき。飴がどんどんウサギの形になっていき、あっという間に完成です。
体験教室もやっているようです。飴の丸める感触をちょっと味わってみたいです。
いいお土産ができました。
うろうろねんどの旅は続く!
ぐるっとパスチャレンジ4:武蔵野市立吉祥寺美術館(2017年1月30日 月)
こんばんは。ねんどです。
おとつい2017年1月30日に、武蔵野市立吉祥寺美術館に行ってきました。
この日は月曜日。月曜日というと、美術館や博物館の類はお休みが多いのですが、この美術館は、毎月最終水曜日、展示入れ替え、年末年始以外は開いているというありがたい美術館です。
さて、この武蔵野市立吉祥寺美術館ですが、場所は吉祥寺駅を降りて、3分くらいでとても行きやすいところにあります。そんなところに美術館あったかなと思いながら歩いていると、どうやらこのcoppiceという商業ビルの中にあるということがわかりました。
A館の7階だそうです。あったんですね。
エレベータもありますが、ねんどはエスカレータで。6階まで上がると、最後は階段でした。
今日見る「青龍社の女性画家 小畠鼎子展」のポスターです。
小畠鼎子って、なんて読むんだろうと思ったら、「おばたていこ」と読むみたいですね。大正から昭和にかけて活躍した吉祥寺に住んでいた日本画家だそうです。
青龍社
青龍社ってのもなんだろうと思ったら、その説明もロビーでされていました。
青龍社とは、川端龍子(かわばたりゅうし)という日本画家によって設立された美術団体だそうで小畠鼎子氏は、その青龍社に35年連続で出展し続けていたそうです。残念ながら、川端龍子氏が亡くなった後、解散してしまったということでした。
川端龍子氏の美術館も大田区にあるみたいです。パンフレットがおいてありました。
残念ながら龍子記念館は、ぐるっとパスではない入場できないみたいですが、美術館から美術館を知るってなんかいいですね。芋づる式な感じで。建物がよさそうです。
展示室
展覧会の挨拶文と2、3の絵がロビーに展示してあり、この後は有料ゾーン。展覧会全部が有料でないというのは太っ腹なんでしょうか。
ぐるっとパスを受付に渡して、ちぎってもらって入場です。
武蔵野市立吉祥寺美術館には、展示室が3つあります。
受付を通ると、右は「浜口陽三記念室」、正面は「萩原英雄記念室」、左は「企画展示室」と3つの展示室があって、自由に見て回る形式になっています。
浜口陽三記念室
まずは右の浜口陽三記念室から。この展示室では銅版画家の浜口陽三氏の作品と関連作品が定期的に入れ替えて展示されているようです。
入口に浜口陽三氏の顔の銅板がありました。
浜口陽三氏は、銅版画とカラーメゾチントという技法を開拓した人のようで、その作り方の展示もありました。一色ずつ色を載せていくようでした。カラーメゾチントの説明をしてくれているサイトがありました。
学生時代の美術の時間にプラスティックをとがったもので傷つけて版画を作ったことを思い出しました。浜口陽三氏の作品、静けさがあって、でも暖かさもあって結構好みでした。
白黒の作品もありましたが、色がついているのが好きでした。
展示されていた絵の絵葉書を買いました。「2匹のてんとうむし」という作品。他の作品も見てみたくなりました。
この部屋には他に織田一磨という版画家の作品も展示してありました。
大阪や東京の街並みを版画にしていた人で、華やかな町や廃墟みたいになっている風景も版画にしていたりして、独特なまなざしがあるなと思いました。
今の風景を描かなければといったような言葉をあったのですが、メモをしてなかったのと後でネットで探したけれど、見つからなくて正確な言葉はわからないですが、記録を残そうという気持ちが強い人だったのかもしれません。
ちょっと浮世絵的な感じがしました。
「パンの会」って団体にもはいっていたみたいです。
色々勉強になります。
萩原英雄記念室
続いて、受付入って正面の展示室「萩原英雄記念室」。
この展示室の入り口には、萩原氏の顔の木彫りがありました。
印象的だったのは、富士山をいろんな角度から絵にしている作品。
時には、畑とともに、時には夜、また桜の花の枝の間からと、色々なところから富士山を絵にしていました。
変わった形の椅子がいくつか置いてあって、座ってみたりできました。手すりがあって、角度がついた椅子があって、そこに座ってみるとゆったりとした気持ちで立ってみるのと違って見えたりしました。
展示室の外のロビーにあった椅子。
企画展示室~青龍社の女性画家 小畠鼎子展~
最後は受付通って左の企画展示室。本日のメイン小畠鼎子氏の展示。
チラシが4種あってかわいいです。
小畠鼎子氏が活躍したのは大正から昭和。太平洋戦争の時代は、画家もみな国民を挙げて鼓舞しようという動きがあり、彼女が所属した青龍社の画家の中でも率先してそういった絵を描いた人もいたそうです。でもそんな中、小畠鼎子氏は自然を描き続けていたそうです。
戦争中は、絵具が足りなかったりして、背景に塗る色がなくなったり、でも逆にそれが絵のすばらしさになっている絵もあったりしました。
時代というものは多かれ少なかれ作品に影響するものなんだなと思いました。
戦時中の青龍社の展覧会の告知をする案内のハガキも展示されていて「でも芸術がないと寂しいでしょ」というような一文があって、ちょっといい感覚だなと思いました。このハガキは、青龍社の主催の川端龍子氏が書いたのでしょうか。
戦後
戦争が終わってからの作品は、構図や色がダイナミックになっていました。
子育てをしながらで遠くに行けないからと、吉祥寺の自然を多くかいていたようでした。
描きたいのにかけない苦しさ
ちゃんとメモをしていたわけではないので、正確ではないのですが、ロビーにこんなような言葉がありました。
「描けば描くほど描くことはむつかしいと思う。しまいには描けなくなるのではないかと思う」
「どうしてそこまでと言われるけれど、人間は打ち込めるものがないとつまらないでしょ。」
生みの苦しみというんでしょうか。それでも描き続け、35年連続で出展し続けるパワーというのは本当にすごいですね。芯が強い女性だったんだなと思いました。
うろうろねんどの旅は続く!
ぐるっとパスチャレンジ3:府中市郷土の森博物館 2017年1月28日(土)
こんばんは、ねんどです。
昨日はぐるっとパスを使って、府中市郷土の森博物館に行って来ました。今回は週末なので旦那さんも一緒です。
府中市郷土の森博物館の最寄り駅は、南武線または京王線の分倍河原駅。ねんど達が駅に着いたのは、お昼すぎでお腹はぺこぺこ。目をつけていたお店はお休み、他の気になった店も満席で、行く道中見つけようという事になりました。
この日は座って食べたかったので行きませんでしたが、この立ち食いソバ屋さん、なんだかおしゃれ▼
府中市郷土の森博物館は、分倍河原駅から歩いて20分くらいの所にあります。バスもありますが、食べるところも見つけたいし、せっかくなので歩いて行くことにしました。
駅前に銅像を発見。
新田義貞氏の像。分倍河原の戦いというのがあったみたいです。この戦いについてはあとで博物館で詳しく知ることができました。
グーグルマップを見ながらとことこ。
ところが、GPSが変になっていたのか住宅街を進め、さらにマンションに突っ込めみたいな事になり、とても昼ごはんを食べられる感じではありませんでした。
遠まわりしつつもなんとか到着。
受付でぐるっとパスを見せるとプラネタリウムが2時の回と3時半の回とあるけれど、どちらがいいかと聞かれました。
時間は2時少し前、空きはあるとは聞いたけれど、とてもこの空腹でプラネタリウムは耐えられそうになく、15時半の回にしました。ぐるっとパスをちぎってもらって入場します。
博物館の外観です。
博物館は公園の中にあるみたいで地図を見ると公園自体も結構広くて、見るところがたくさんありそうです。
まずはごはんが食べられそうなところを探します。博物館の中にカフェがある!
飛び込みました。ねんどは、ハンバーグランチ、旦那さんはおでんセットを頼み、腹ごしらえしつつ、プラネタリウムまでに見るルートを検討。
ハンバーグ、結構ボリュームありました。
多摩川冬鳥の陣
お腹も落ち着いた所で、まずは1階の多摩川冬鳥の陣。ちょうどこの日から開始でした。ポスターの鳥の絵がかわいいです。
入口で、入場者数を数えておる、どんぐりを入れてくだされ、と書いてあったのもクスリとしちゃいました。
多摩川にはたくさんの鳥が飛んで来ていて、餌や寝場所を取り合う合戦場だということで、説明が武士っぽくて、面白おかしく読めます。
もともといた鳥たちの正規軍、そこに季節ごとに渡ってくる鳥たち、人間に住処を奪われてやってきた鳥たちと、それぞれ軍に見立ててありました。こんなにたくさんの種類の鳥が多摩川にやって来ていたのかと勉強になりました。
バードウォッチングっぽい事ができたり、クイズもあったりと結構たのしめました。
展示の見せ方って大事ですね。
くらやみ祭り
続いて2階の展示。府中には、毎年4月30日から5月6日まで行われる「くらやみ祭り」というのがあるらしいです。大國魂神社とその周辺から、いくつもお神輿が街を練り歩き、かなり盛大なお祭りなようです。
かつては街中の明かりを消した深夜に行われていたので「くらやみ祭り」と言われたそうです。
その様子を映像で見られるようになっていました。
クライマックスの5月5日の夜11時には流鏑馬などの儀式もあったりするみたいです。お神輿も迫力ありそうで、生で見たくなりました。
府中の歴史
展示が2014年にリニューアルしたみたいで、割と綺麗でした。
氷河期のおわりから、この辺りには人が住んでいたそうで出土品がたくさん出て来たみたいです。宿場の様子のミニチュアなどには双眼鏡がおいてあったり、展示に工夫がありました。
分倍河原の戦い
駅で見た銅像の分倍河原の戦いについてアニメーションで説明していました。
時は鎌倉時代1333年。新田義貞は、鎌倉幕府打倒の兵を挙げ、ここ分倍河原で北条泰家を大将とする北条軍とぶつかったそうです。
最終的に新田軍が幕府軍に勝利をおさめ、鎌倉幕府の崩壊に大きな影響があった戦いだったということでした。先ほど駅前にあった像はこの新田義貞氏だったんですね。
鎌倉と分倍河原とそんなに近いとは感じていませんでしたが、この地でも歴史が動いていたんですね。
氷河期の終わりから、現代まで一気にこの地の歴史をみました。
プラネタリウム
さて、15時半少し前になり、プラネタリウムに向かいます。入場は10分前から。
前半は今夜の星空を係りの人が生で解説してくれ、後半はプログラムという二部構成でトータル1時間ほどの上映です。15時半の回のプログラムは「ビリオン・サンズ」。左から二番目のポスターです。
「ビリオン・サンズ」は、10億個の星空の3次元マップを作るという最新プロジェクト0の話。映像で説明してくれています。
いすなど少し設備の古さは感じたのですが、映像と生解説の2部構成はお得な気持ちになりました。
公園
プラネタリウムを見て、博物館の外に出たらもう夕方。公演は17時まででこの時すでに16時半すぎ、時間があまりないので、博物館の周りだけ少し見ました。
旧府中町役場。中にも入れるみたいでしたが、時間がないので今日はやめました。
旧島田家住居。中にはひな人形が飾ってありました。
猫さんもいました。
公園はまだまだあって、見て回りたかったのですが、また今後ゆっくり来ることにします。2月は梅まつりもあるみたいですよ。
帰りはバスに乗ろうと思ったのですが、ちょうどいい時間がなかったので歩いてたら、きれいな夕焼け。
石村萬盛堂
駅に向かっていると歩いていると、なぜか福岡のお菓子屋さんの石村萬盛堂がありました。聞くと東京近辺へここを拠点におろしているそうです。
お茶と塩大福を買ったパクリ。家で食べる用の鶴の子も買いました。
最後はお菓子も食べられて、なかなかいい散歩になりました。
うろうろねんどの旅は続く!