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うろうろネンド

うろうろして見たり思ったことをつぶやきます

ぐるっとパスチャレンジ4:武蔵野市立吉祥寺美術館(2017年1月30日 月)

こんばんは。ねんどです。

おとつい2017年1月30日に、武蔵野市立吉祥寺美術館に行ってきました。
この日は月曜日。月曜日というと、美術館や博物館の類はお休みが多いのですが、この美術館は、毎月最終水曜日、展示入れ替え、年末年始以外は開いているというありがたい美術館です。

www.musashino-culture.or.jp

さて、この武蔵野市立吉祥寺美術館ですが、場所は吉祥寺駅を降りて、3分くらいでとても行きやすいところにあります。そんなところに美術館あったかなと思いながら歩いていると、どうやらこのcoppiceという商業ビルの中にあるということがわかりました。

A館の7階だそうです。あったんですね。

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エレベータもありますが、ねんどはエスカレータで。6階まで上がると、最後は階段でした。

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今日見る「青龍社の女性画家 小畠鼎子展」のポスターです。

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小畠鼎子って、なんて読むんだろうと思ったら、「おばたていこ」と読むみたいですね。大正から昭和にかけて活躍した吉祥寺に住んでいた日本画家だそうです。

青龍社

青龍社ってのもなんだろうと思ったら、その説明もロビーでされていました。

 青龍社とは、川端龍子(かわばたりゅうし)という日本画家によって設立された美術団体だそうで小畠鼎子氏は、その青龍社に35年連続で出展し続けていたそうです。残念ながら、川端龍子氏が亡くなった後、解散してしまったということでした。

川端龍子氏の美術館も大田区にあるみたいです。パンフレットがおいてありました。

龍子記念館

 残念ながら龍子記念館は、ぐるっとパスではない入場できないみたいですが、美術館から美術館を知るってなんかいいですね。芋づる式な感じで。建物がよさそうです。

展示室

展覧会の挨拶文と2、3の絵がロビーに展示してあり、この後は有料ゾーン。展覧会全部が有料でないというのは太っ腹なんでしょうか。

ぐるっとパスを受付に渡して、ちぎってもらって入場です。

武蔵野市立吉祥寺美術館には、展示室が3つあります。

受付を通ると、右は「浜口陽三記念室」、正面は「萩原英雄記念室」、左は「企画展示室」と3つの展示室があって、自由に見て回る形式になっています。

浜口陽三記念室

 まずは右の浜口陽三記念室から。この展示室では銅版画家の浜口陽三氏の作品と関連作品が定期的に入れ替えて展示されているようです。

浜口陽三記念室 | 武蔵野市立吉祥寺美術館

入口に浜口陽三氏の顔の銅板がありました。

浜口陽三氏は、銅版画とカラーメゾチントという技法を開拓した人のようで、その作り方の展示もありました。一色ずつ色を載せていくようでした。カラーメゾチントの説明をしてくれているサイトがありました。

d.hatena.ne.jp

学生時代の美術の時間にプラスティックをとがったもので傷つけて版画を作ったことを思い出しました。浜口陽三氏の作品、静けさがあって、でも暖かさもあって結構好みでした。

白黒の作品もありましたが、色がついているのが好きでした。

展示されていた絵の絵葉書を買いました。「2匹のてんとうむし」という作品。他の作品も見てみたくなりました。

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この部屋には他に織田一磨という版画家の作品も展示してありました。

織田一磨 大阪の河岸 - Google 検索

大阪や東京の街並みを版画にしていた人で、華やかな町や廃墟みたいになっている風景も版画にしていたりして、独特なまなざしがあるなと思いました。

今の風景を描かなければといったような言葉をあったのですが、メモをしてなかったのと後でネットで探したけれど、見つからなくて正確な言葉はわからないですが、記録を残そうという気持ちが強い人だったのかもしれません。

ちょっと浮世絵的な感じがしました。

パンの会」って団体にもはいっていたみたいです。

色々勉強になります。

 萩原英雄記念室

続いて、受付入って正面の展示室「萩原英雄記念室」。

この展示室の入り口には、萩原氏の顔の木彫りがありました。

萩原英雄記念室 | 武蔵野市立吉祥寺美術館

 印象的だったのは、富士山をいろんな角度から絵にしている作品。

時には、畑とともに、時には夜、また桜の花の枝の間からと、色々なところから富士山を絵にしていました。

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 変わった形の椅子がいくつか置いてあって、座ってみたりできました。手すりがあって、角度がついた椅子があって、そこに座ってみるとゆったりとした気持ちで立ってみるのと違って見えたりしました。

展示室の外のロビーにあった椅子。

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 企画展示室~青龍社の女性画家 小畠鼎子展~

最後は受付通って左の企画展示室。本日のメイン小畠鼎子氏の展示。

チラシが4種あってかわいいです。

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小畠鼎子氏が活躍したのは大正から昭和。太平洋戦争の時代は、画家もみな国民を挙げて鼓舞しようという動きがあり、彼女が所属した青龍社の画家の中でも率先してそういった絵を描いた人もいたそうです。でもそんな中、小畠鼎子氏は自然を描き続けていたそうです。

戦争中は、絵具が足りなかったりして、背景に塗る色がなくなったり、でも逆にそれが絵のすばらしさになっている絵もあったりしました。

時代というものは多かれ少なかれ作品に影響するものなんだなと思いました。

戦時中の青龍社の展覧会の告知をする案内のハガキも展示されていて「でも芸術がないと寂しいでしょ」というような一文があって、ちょっといい感覚だなと思いました。このハガキは、青龍社の主催の川端龍子氏が書いたのでしょうか。

戦後

戦争が終わってからの作品は、構図や色がダイナミックになっていました。

子育てをしながらで遠くに行けないからと、吉祥寺の自然を多くかいていたようでした。

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描きたいのにかけない苦しさ

 ちゃんとメモをしていたわけではないので、正確ではないのですが、ロビーにこんなような言葉がありました。

「描けば描くほど描くことはむつかしいと思う。しまいには描けなくなるのではないかと思う」

「どうしてそこまでと言われるけれど、人間は打ち込めるものがないとつまらないでしょ。」

生みの苦しみというんでしょうか。それでも描き続け、35年連続で出展し続けるパワーというのは本当にすごいですね。芯が強い女性だったんだなと思いました。

 うろうろねんどの旅は続く!