ぐるっとパスチャレンジ5:森鴎外記念館 2017年02月06日(月)
こんばんは、ねんどです。
先日2月6日にぐるっとパスで、文京区立森鴎外記念館に行って来ました。
森鴎外記念館は、東京メトロ千代田線千駄木駅から徒歩5分にあります。
千駄木駅の壁の模様が気になったのでパシャリ
1番出口が一番近いというので、出てみたら団子坂下という交差点。
この坂を登りきったところに記念館はあるようです。団子坂という文字を見て、団子を食べたくなるねんど。団子屋さんはないかなと思いながら、坂をとことこ。残念ながら、団子屋さんはありませんでした。
団子坂上って交差点まで来てしまいました。
ちょっと気になるお店を見つけたので帰りに寄ってみようかと思いながら、歩いてると到着しました。
外観
森鴎外記念館の外観です。和風な建物を想像して来たのですが、意外や意外、モダンな建物。
入口です。
館内
中に入ると正面に鴎外さんの顔の銅板。右の写真は拡大版。壁に埋まっています。
入って右手が、ミュージアムショップになっていて、そこでぐるっとパスをちぎってもらいます。
地下1階が、展示室。
1階はカフェとミュージアムショップ
2階は図書館と講堂になっているようです。
まずは、展示を見ようと、地下におりてみます。数日前の2017年2月2日~4月2日まで「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」というコレクション展が行われているようです。これは外のポスター。
地下へ降りていく階段です。
下から見るとこんな感じ。天井の明り取りが印象的です。
本当にモダン。
調べてみたら、どうやらこの建物は、森鴎外生誕150周年を記念して2012年にそれまであった「文京区立本郷図書館鴎外記念室」から新たに「文京区立森鴎外記念館」に改築されたものだそうです。ちなみにこの場所は、鴎外さんが亡くなるまで30年以上住んでいた「観潮楼」という住まいがあった所みたいです。
地下
階段を降りると右手が、休憩室。左が展示室になっていて、展示室の正面には森鴎外さんの胸像。後ろには原稿などの映像が流れていてました。
展示室は入って、右の部屋が常設展で、まずはそちらから見ていきます。
鴎外さんの生涯
鴎外さんの人生が年表や写真などの資料と共に展示してあります。
鴎外さん、島根県の津和野出身なんですね。1862年生まれ。幼い頃から論語やオランダ語を学んでいたそうです。早熟!
そして、10歳で家族ともに上京し、11歳で東大医学部の前身に入学年齢に達してないのに入学したそうです。神童ですね。。
文学にも興味を持って、医学と共に学んでいたそうです。
その後、19歳で卒業して軍医となり、その実力を認められ、22歳でドイツに国費留学。時は明治時代、軍医というのがその時代を表していますね。
26歳で帰国。それから、軍医として活躍し、たくさんの翻訳をしたり、執筆活動と大忙しだったようです。
友人との交流もすごく濃い。小説家は幸田露伴、夏目漱石、芥川龍之介、田山花袋などなどのそうそうたる顔ぶれ。集まってはいろんな談義をしていたみたいです。正岡子規、北原白秋、石川啄木、斎藤茂吉などの俳人、乃木希典などの軍人とも交流があったみたいで顔広すぎです。
明治天皇が亡くなった時、乃木希典夫妻の殉死に衝撃を受けたみたいで、そこから小説を精力的に書いていたそうでした。知ってる人が殉死って、しかも夫妻でって、相当ショックだったことでしょうね。
福岡県北九州市小倉にも軍医で赴任して来たことがあったみたいです。ねんど福岡出身なので、自分の町が出てくるとなんだかうれしくなります。実家に帰った時には、旧家にいってみようかと思ったりしました。
小倉から帰る時に2度目の結婚で、「ちょっと美術品のような人」と結婚したそうで、その手紙も展示してあって、その表現にくすっとしました。大変な美人さんだったみたいですね。
華々しく活躍していたけれど、60歳で亡くなる直前、友人に遺書を口頭筆記してもらって、墓石には「森 林太郎」と自分の名前以外は掘ってくれるなと言ったそうです。軍から称号を与えるという話もあったけど、断固断ったそうです。
余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス
この言葉には何か拒絶のような孤高の存在のようなものを感じました。
地図と手紙と
東京のあちこちにゆかりの場所があって、地図にゆかりの場所がマップされているタッチパネルの展示がありました。昔の東京の地図と、今の地図に切り替えられるのもいい感じでした。ゆかりの場所を回る人もいるんでしょうね。
手紙も結構残されているみたいで、まめな人だったんだなと思いました。タッチパネルで手紙をみられるような展示もありました。つい最近発見された手紙で、記念館が買い取ったものも。この時代になっても見つかるものなんですね。
子どもさんにも手紙を結構書いていたみたいでした。カタカナで書いてあって、逆に読みにくく感じました。。パパは何を食べたとか、子煩悩なお父ちゃんって感じの文章でした。
企画展「死してなお~鴎外終焉と全集誕生~」
企画展は常設展とは違う部屋でありました。この企画展は亡くなる直前の資料や、亡くなった後に全集が出版されるまでのことを取り上げた企画展でした。
晩年、体調が悪く、足を引きづるように歩いて、仕事してたそうです。人から医者に行けと言われても診察を拒み続け、自分も医者だから症状もわかっていたでしょう。
多分腎をやってると思う。もう手の施しようがない死ぬと言われて精神状態が普通でなくなって、そればかり考えるようになるのが嫌だといったような手記が残されていました。
そして、いよいよ動けなくなって仕事を休み、奥さんから涙ながらに診察を行くように言われ、診察したけれど、もう手遅れな状態だったみたいです。
日記もだんだんと書く筆圧が弱くなって、最後は友人に代筆してもらい、遺言も書いてもらい、亡くなったそうです。享年60歳だったそうです。
デスマスクもありました。
全集の出版は人間関係とかいろいろ大変だったみたいでした。
映像
また別の部屋で、映像が流れていました。3本あって、「千駄木での鴎外の話」、「観潮楼についての話」ともう一つは、3人の現代作家が森鴎外について語っていました。
一人目は、ドイツ語で書かれたものを見て興味をもったという方(名前を忘れてしまいました)。
鴎外さんが日本に帰ってきた時に自分の研究室を作ろうとして、それができなかった。それよりも欧米の技術を翻訳して、世に広めることを求められた。次に小説を書こうとした。そこでも欧米の文学を広めてほしいと翻訳家として求められることが多かった。彼はすごく能力があった人だけど、能力があった故に人から多く求められ、そしてそれに答えるだけの力があった。でも彼は自分のものを世に残したかったのではないか、あれだけの人でも苦悩があったんではないでしょうかと舞姫という作品のことともに話していました。晩年ものすごいスピードで作品を書いていた。もっと生きていたら、たくさん読めただろうとも言っていました。
ねんど、その話を聞くまで、エリートで人望もあって、すごい人だとしか思っていなかったのですが、なるほどそうだったのかもしれないと思ったりしました。
二人目は安野光雅氏。
この人の絵好きなんですが、安野氏は出身が鴎外さんと同じ津和野らしいです。子どもの時は出身地の有名な人ってだけで特に意識してはいなかったそうです。
文語体が好きで、文語体の文章を探すうちに「即興詩人」というアンデルセンの作品の鴎外さんの翻訳に行き当たったそうです。とある人が無人島に一冊持っていくとしたら何がいいかという質問にこの「即興詩人」のことを挙げていたそうで、安野氏も自分もそうだと言っていました。
三人目は平野啓一郎氏。
現在では、森鴎外は夏目漱石に比べて、好きという人が少ないそうです。圧倒的な状況で人が抗えずに結局流されてしまう諦めのようなものがそこにはあって、現代の主人公が打開していくのが好まれる時代とは合わないのかもしれないと、言っていました。ただ、311によって圧倒的なものを経験した我々が今読むと不思議な慰めのようなものがそこにはあって、むしろ今読んでもらいたいとも締めくくっていました。
三人それぞれのコメントに鴎外さんへの気持ちがあって、読んでみたくなりました。
休憩室
展示室を後にして、館内を見て回ることにします。休憩室はこんな感じでした。
2階
図書館と休憩室と講堂がありました。
2階の休憩室の入口。
外には夕焼けが見えました。
図書館は、森鴎外の全集はもちろん、文京区の歴史、明治らへんの文芸本の復刻版などがありました。
1F
1階にもどって、カフェに行こうとしたら、営業が終わっていました・・・
残念無念。
入口のミュージアムショップには、なかなか面白いグッズがありました。
バッチとか、飛び出る鴎外さんしおりとか、いい感じでした。
中庭
建物の外にでました。中庭には鴎外さんが写真を撮った石が残っていました。
記念館の裏に出てみました。
すっかり夕方です。散歩によさそうな小道です。
この後行きたいお店があるので降りませんでしたけど、気になる階段です。
国語の授業で習ったくらいしか知りませんでしたが、今回鴎外さんについてしっかり学べた気がしました。ぐるっとパスにいいきっかけをもらいました。本も読んでみようと思います。
番外編
行き掛けに気になったお店「あめ細工 吉原」。
室内は甘い香りがたちこめていました。作り置きで売っているものと、注文してその場で作ってくれるものがあるみたいです。種類も妖怪や干支などたくさん。写真をみせたら、似せて作ってくれたりもするみたいです。作ってくれるのはポーズも指定したり、メッセージを付けてもらったり、いろいろできるそうです。
せっかくなので、作ってもらいました。飴の素材、日本の飴細工はさらし飴というもので、もともと透明なのに何か混ぜて少し白いような色をしていて、80度くらいの温度に熱して柔らかくなった状態のものを丸めていくそうです。固まるまで3分くらいだそうなので、その間が勝負だって言っていました。
話しながらも素早い手つき。飴がどんどんウサギの形になっていき、あっという間に完成です。
体験教室もやっているようです。飴の丸める感触をちょっと味わってみたいです。
いいお土産ができました。
うろうろねんどの旅は続く!