ぐるっとパスチャレンジ6:小平市平櫛田中彫刻美術館 2017年3月9日(水)
こんばんは、ねんどです。
先日久しぶりにぐるっとパスを使いました。行ってきたのは小平市平櫛田中彫刻美術館。
小平市平櫛田中彫刻美術館の最寄り駅は、一橋学園駅です。
南口から徒歩10分とのことで、駅を出てとことこ。歩いてたら、わかりやすく矢印が。
大きなみかんの木!
鳩さんがゆっくりしていました。
歩いていてこっちでいいのかなと、不安になってくると矢印が出てくるという親切ぶり。
奥の建物は放送大学のようです。ここにあったんですね。
住宅街の中を歩いていくと、ありました。小平市平櫛田中彫刻美術館。
建物が二つあって、左側が展示館、右側が平櫛田中氏の旧家の記念館となっているようです。
小平市平櫛田中彫刻美術館って
明治大正期の彫刻家の平櫛田中さんが晩年の10年間をすごした邸宅を広く公開するために昭和59年に「小平市平櫛田中館」として開館し、さらに平成6年に展示館を新設し、今の形に至っているそうです。
平櫛田中さん、107歳まで生きたそうで、晩年の10年って、97歳~107歳に住んでいたということなんですね。長生き!ねんど、そこまで生きられるかしら。
ところで、平櫛田中さんって、「ひらぐしでんちゅう」と読むみたいですね。たなかさんかと思っていました。文化勲章を授賞したりしたすごいお人だったそうです。
小平市のHPに詳しい説明がありました。
小平市に来る前は谷中あたりに住んでいて、そちらのお家も残っているようです。いくつも建物が残っているって、すごいことですね。
展示館
まずは、「ロダンと近代日本彫刻展」を見に左側の展示室へ。このブログを書いた時にはすでに終わってしまいましたが。。
ロダンさん、没後100年だったんですね。
建物を入ってすぐがミュージアムショップと受付。ぐるっとパスをもぎってもらいます。どんと存在感のある立像が。
その横を抜けて展示室へ。展示は1階から、2階、最後に地下という順路でした。
国立西洋美術館の入り口にある「考える人」「地獄の門」で有名なオーギュスト・ロダンさん。日本の彫刻界に与えた影響はものすごいものだったようです。
ロダンの作品の他に、というかほとんどは影響を受けた日本の彫刻家の作品でした。あ、これは!ってのがいくつかあったのでご紹介。
萩原守衛氏の「デスペア」
安曇野にある碌山美術館から。安曇野に2回行ったのですが、1度目は閉館してしまって入れず数年後リベンジしました。蔦の絡まる建物は安曇野を象徴している気がします。萩原守衛氏(萩原碌山)の新宿中村屋の初代への奥さんの相馬黒光さんに向けての悲恋の話も強烈な印象でした。
新宿中村屋のサイトにに創業のゆかりの人として紹介されているページがありました。
碌山氏の亡くなり方がつらい・・・
この作品の女性の岩から溶けて出たみたいな体勢は独特ですが、ロダンの影響もあるらしいです。萩原氏の手紙も紹介されていました。ロダンのダナンみたいになってしまったって、ちょっと言い訳のようなかわいい感じのことを書いていましたが、そんなこと抜きにいい作品でした。
モデルは日本人だけど、スタイルが、日本人がそれほど人物の彫刻になれておらず、ヨーロッパのスタイルを取り入れることから始めたため、デフォルメしたんであろうということでした。
朝倉文夫氏の「吊るされた猫」
谷中にある朝倉彫塑館から。この方、大の猫好きみたいで、朝倉彫塑館には、猫の作品ばっかり展示してある温室があります。ここの建物はねんど大好きで何度か行きました。屋上も眺めがいいし、天井まである書斎だったり、丸テーブル特注で作ったりするこだわりの人で、なんだかセンスがよくて、ねんどの中で理想の建物の一つです。ぐるっとパスにも入っています。
高村光太郎の「手」
同じく朝倉彫塑館から。以前美術の番組でとりあげられていて、見たときにこれはって思った作品でした。また会いました。
別のところで出会ったり、知っていることがつながったりすると、すごくうれしいです。
ロダンの影響
ロダンは、いままで完全である事がよしとされていた所を、未完成でもいい、それまで美と認められないようなちょっと醜いようなもの、そこにリアリティというか美を見出すといったような視点があったそうで、当時の人たちはそこに衝撃を受けたみたいでした。
展覧会の構成は、こんな感じですすんでいました。(例によってメモを取ってないので文章のニュアンスが違うかもしれません)
その1.ロダンを師と仰ぐ明らかに影響を受けた人たちの作品
その2.ロダンの思想的な部分を受け継ぐ作品
その3.ロダンの影響から抜け出そうと、あえて違うことをやった作品(これもロダンを意識しているという意味で、ロダンの影響といえるだろうという説明がありました。)
その4.かみ砕いて自分のものとして、同じようなアプローチをそれぞれのやり方でやっている作品
彫刻に限らず、センセーショナルな感性に出会った後、受け入れられていく過程はこんな経緯をたどるんだろうなという構成でした。
最後のその4の所は地下で、ロダンの「カレーの市民」という作品があったのですが、ちょっと演劇のようでした。演出してる感じがしました。伝統的な高い台座に置かないで見る人と同じ高さに置くようにとロダンと市とでもめたそうです。見る高さにもこだわったんですね。
最後に平櫛田中氏の代表作という「鏡獅子」もありました。ロダンと彼は立像を依頼された時にある同じことをしていたそうで、それは何かというと、服を着ていない状態で一度モデルにポーズを取ってもらって、まず裸の状態で彫刻を作る。そのあとに、衣服を肉付けしていくということをやったそうです。
鏡獅子の横には、裸の状態の鏡獅子のポーズをした作品があり、並べてありました。
なんという労力。すごいことをしますね。
▼服を着ている鏡獅子
平櫛田中氏の旧家の記念館
続いて、隣の建物の記念館へ。引き戸をあけて屋内へ。展示室になっているところにいくつか作品が飾ってありました。客室には季節柄ひな人形も。
そして庭園の紅梅と白梅の見事なこと。写真撮りたかったのですが、館内禁止なのでなくなくパンフレットを。庭園ではたまに野立てをしていたりするそうです。
館内のいたる時に平櫛田中氏の名言が飾られていました。
いまやらねば いつできる
わしがやらねば だれがやる
庭にはすごく大きなクスノキの切り株がありました。
この木は平櫛田中氏が100歳になってから彫刻用の原木に置いたそうです。さらに30年は創作活動が続けられるだけの原木が乾燥のために置かれていたそうです。
107歳で亡くなったそうですが、そんな年齢になっても創作への情熱を持ち続けていたんですね。この木をみて、先ほどの「誰がやる」ってのを思い出すと、言葉に力が感じられます。強い思いを持ちながら生き続けるというのは、並大抵なことじゃないなと思いながら、記念館を後にしました。
旧家を外から見るとこんな感じです。
前庭の木が大きい!
帰りは違うルートを通って帰ることにしました。歩きたくなる道。
街並みです。同じ形の建物が並んでました。
途中、音楽への愛あふれるカフェで休憩して、帰りました。
うろうろねんどの旅は続く!